気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

身心を基準にする

2024-04-20 08:43:19 | 透明を観る
 野口整体を勉強して良かったことのひとつは、身心の状態に敏感になったこと。日々の身心の変化を感じ取れるようになったことです。「透明を観る(健康法をする)」と、明らかにその前と比べて身心が変わったことが実感できます。
 身心は本来自分を知るための「基準」になり得るものです。しかし多くの人は、自分の感覚よりも、健康診断などのデータを信頼しているようです。もちろん科学的なデータも意味がありますが、まずは自分の身心を自分で感じ取るという姿勢が大事だと思います。 
 身心は常に変化し続けています。環境やココロの変化によってカラダは変わり、カラダの調子によってココロも変わります。身心を基準にするといっても、乱れた身心に合わせることではありません。偏っているときには、まずは理想的な(自分らしい)状態に戻し、その上で各々の身心の状態に合わせていくことです。

「気気の会」ホームページのトップページを少し変えました。「ただ立つ」から「透明を観る」に。

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半分「ココロ」 半分「透明」

2024-04-12 18:49:06 | 透明を観る
 前にも書いたように、私は身心を整える手段として「透明」をイメージします。
 荘子の中に、「耳で聴かずに心で聴きなさい 心で聴かずに気で聴きなさい」という話がありますが、この「気」に相当するのが「透明」です。
 ココロが一番だと、つらい時に逃げ場所がなくなります。ココロが折れたらもうお終いなのです。「透明」を持っていれば、たとえココロが傷ついても、それはまだ半分だけです。あと半分は「透明」がありますから、大丈夫なのです。

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ココロの中で唱えるとは

2024-04-12 10:17:26 | 透明を観る
 私は日に何度か、三つの言葉をココロの中で唱えます。

「わたし 透明」
「あなた 透明」
「すべて 透明」
そうすると身心のバランスが良くなるからです。

 さて言葉を「唱える」ときに、声を出した方が良いのか、出さなくても良いのか、私はどちらでも良いと思っています。ただし声に出さない場合でも、ココロの中では音が鳴っている方が良いと考えています。
 「音」には、人のココロに響く力があります。音楽は言うに及ばず、人が発する言葉にも、紙に書かれた言葉とは違う力を持っています(もちろん書かれた言葉には、話された言葉にはない力もあります)。それは「音」の力によるものです。古来より儀式などで、言葉が発せられてきたことはまさに「音の力」を使って何かを伝えて来たのです。




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意志の作用

2024-04-04 12:42:12 | 透明を観る
 野口晴哉氏の「飯は食えないと死ぬが、(断食などで)食わなければ死なない」という内容の言葉をどこかで読んだことがあります。「食えない」と「食わない」では意味が違うということです。「食えない」というのは、本当は食いたいのに食えない、「食わない」というのは初めから食う気がないのです。前者は受け身で、後者は前向きの生き方です。
 もし仮に薬や治療について言うならば、「薬や治療を受けられないと調子が悪くなるが、初めから受けないならば、大丈夫」となります。前者は他者を頼っていて、後者は自分の(治癒)力を信じている。薬や治療が悪いと言っているのではなく、生きていく上で、人の「意志(意識の方向)」の及ぼす作用を、野口氏は説いているのです。
 
 私は日日、身心を整える方法として「透明を観る」ことをしていますが、これは「色(モノ)」だけの世界を観ないという「意志」です。

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