気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「とっさ」に対応するために

2024-06-14 06:54:03 | 透明を観る
 先日電車からホームへ降りたとき、階段の下にクワガタのメスが仰向けになっていました。それを認識した時にはすでに階段を登り始めていたので、そのまま引き返すことなくすすみました。改札を出てからもそのことが気になりました。なぜすぐに拾い上げ、安全な場所へ逃してあげることができなかったのか。たとえ後ろから他の乗客たちが来ていても、その流れに逆行してクワガタの元へ行くことはできたはずです。
「余裕(のようなもの)がなかった。私は次の目的地へ行くことだけを考えていたのです。「余裕」とは単にリラックスしていることではなく、突然現れる予想外の状況にも、瞬時に対応できる準備ができていることです。身心がニュートラルな状態にあることです。
 人が「目先のこと」を考えるのは当然です。しかしそのことだけしか考えないのならば、それは「執着」のようなものです。執着によって身動きは固くなります。では「余裕」のようなものは、どうやって持つことができるのか。それは、起こり得ることを幾つも想定することではありません(それでも多少の余裕は持てますが)。ここからは私独自な方法ですが、普段(相対的な観方)と違う意識を持つこと。「透明」をイメージして、「双眼(モノを相対的に観ながら、同時に一つにつながっているように観ること)」を目指します。相対をいくら積み上げても限界がありますが、「透明」を意識の中に入れていけば、身心が変わり、対応力が高まります。
 もちろん人の行動には、本人の持っている性格や過去の経験なども関係するので、いつでもどんな状況に対しても、理想的な判断と行動ができるわけではありません。それでもわずかでも、自分らしい言動ができるようになることは、何よりも(他者からの評価を得られるよりもずっと)、自分がうれしくなることだと思うのです。
 同日それからおよそ20分後に、別の場所で虫が仰向けになっていたので、それには対処できました。

 

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言葉が形になる過程

2024-06-07 06:05:26 | 透明を観る
 野口整体を学んでいたころ、「唯心所現」「念ずれば現ず」という言葉を知りました。ここでいう心や念は「言葉」のことです。なぜ言葉によってそれが実現するのか。それは単に「言葉→実現」ではありません。意識は言葉を持つことでビジョン(方向)が明確になり、その具体的な意識は(身心一如の原則により)カラダに反映します。カラダは思ったことを実現するためのツールであり、意識に協力する「伴走者」でもあります。言葉や意識だけでなくカラダが準備をして、はじめて実現できるのです。ですから「言葉→実現」ではなくて、「言葉→意識→カラダ(の変化)→実現」です。

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