気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

一年の中の自分の位置

2019-10-27 08:58:35 | 「立つ」健康法
 渓流釣りと鮎釣りのシーズンが終わると、少しゆったりとした時間が持てる。本でも読もうかという気分になるし、ギターを弾く時間も長くなる。釣りのシーズン中はからだを使って動き、オフシーズンは「静」の活動が多くなる。身心の使う処が違うから、それぞれに楽しめる。
 考えてみれば、岩魚や山女にも1年を通してのサイクルがある。秋に産卵し、冬を静かに過ごし、春になって動き出し、梅雨の頃にピークを迎える。人の身心には1年のサイクルがあり、一生のサイクルもある。自分が現在どういう時期にいるのかを知ることが、無理のない自分に合った生き方になる。それはアタマの中の設計図上で判断することではなく、自分の身心と向き合うことでしか分からない。私は「立ち」ながら、自分の位置を確認している。

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「立つ」会の予定

2019-10-17 14:38:19 | 「立つ」健康法

 次回の「理想の立ち方を身につける会」は 10月20日(日曜日) 午前10時 から始めます。詳細はこちらから

 11月の会は休みになります。


 ココロのままに生きればよいという人がいるが、果たしてそうだろうか。ココロはいつも自分にとって正しい選択をするのだろうか。私はそうは思わない。ココロは動くものだからだ。ココロがつらいときに逃げ場所がなくなってしまうのは、ココロがすべてだと思っているからである。身心をキチンと整えたときのココロは、普段のものとは違う。まずはキチンと立って、身心を整えることだ。

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「天心」と「道(タオ)」

2019-10-12 09:57:21 | 野口整体
 野口整体では「天心」が大事だという。「活元運動」も「愉気法」も「天心」がなくてはできない。「天心」とは無欲で生まれたてのような心のことである。野口整体をはじめた頃、擦れている自分が「天心」になど成れるのだろうかと思っていた。しかしその後「天心」を老荘思想の「道(タオ)」や「渾沌」に置き換えてみると分かりやすくなった。道(タオ)は、善だけでなく悪もあり、誤りも災いもすべてある。大人がいくら擦れていようと「天心」もあるわけで、その「天心」を引き出すことが大事なのである。「活元運動」や「愉気法」をキチンとすることで、「天心」に近づくこともできるだろうが、私には「立つ」練習の方があっている。

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「妙」を見る

2019-10-04 13:25:18 | 「立つ」健康法
常無欲以観其妙
常有欲以観其徼

 老子のこの言葉は、物の見方が2つあることを示している。相対的な(物を比較・分別する)見方「徼(きょう)」と絶対的な(物を一つに見る)見方「妙」。私たちは普段「徼」しか見ていない。それは「一つの世界」しか生きていないということである。モッタイナイことである。「徼」の世界にも楽しいことは多いが、「妙」を知れば「もう一つの世界」が開ける。

 では「妙」をどうやって見るのか。それにはからだを使う必要がある。からだと意識(イメージ)を使いながら、「妙」に近づく。からだが変われば、自然にそういう見え方になっていく。無理して(一生懸命に)そういう見方をするわけではなく、身心が変わった結果として、そういう見方になるのである。私は「立つ」練習でそれを実現しようとする。私のような凡人の見た「妙」は、禅僧や達人のそれとは深さが違うかも知れない。それでも、普段とは物の見え方(とらえ方)が違ってくることは自覚できる。

 老子には優れた身体感覚があった。そうでなければ、前述した言葉は出て来ない。何かを思いついた時、その思想の是非をアタマ(イデオロギー的基準)だけでなく、からだの感覚で判断したように思える。

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