『引きこもり』は『何か』から引きこもる。たとえばそれは社会であったり、学校であったり。『何か』が無ければ引きこもる必要がない。
気気の中には、引きこもりたくなる『何か』があるだろうか。
『引きこもり』は『何か』から引きこもる。たとえばそれは社会であったり、学校であったり。『何か』が無ければ引きこもる必要がない。
気気の中には、引きこもりたくなる『何か』があるだろうか。
神(自然)は人に『武器』を与えなかった。ただ『手』を与えた。
『手』でできることをすればいい。
『手』は相手と自分をつなぐもの。
アタマでケンカはしても、握りあった『手』ではケンカはできない。
恋は見返りを期待しますが、気気は『ただ手をあてる』だけです。見返りを期待しない行為は美しく、ココロを揺らします。いつもそういうわけには行きませんが、人の中に共鳴するものがあるから、そういう時にココロが震えるのでしょう。
今日は八王子のクリエイトホールで、気気の無料体験会がありました。初めての人が9名(全員で15名)参加してくれました。ポスターとチラシだけで、良くこれだけの人たちが来てくれたと嬉しく思います。ましてポスターやチラシには、『気功』や『野口整体』などの文字は無く、『気気』とその簡単な説明くらいしか書いて無いにもかかわらずです。
全く見ず知らずの人たちが、この会場で初めて会って、気気をして(背中に手をあて合って)、また各々帰っていくというのは、良いですね~。こういう利害の無いサッパリとした付き合いは、なかなか日常には無く、気持ちが良いものです。