先週書いたように、1987年(厦門大学留学中)に友人のLちゃんと中国を旅したのだが、実は始めは二人で行く予定ではなかった。経緯は・・・
私が旅の計画を立てていた頃、Lちゃんは北京に遊びに(彼女に会いに?)行っていて、いつ厦門(アモイ)に戻ってくるのか分からなかった。私は彼の動向に関係なく、一人で旅に出ようと準備を進め、いよいよ明日出発という時に、Lちゃんから長距離電話が来た(当時、長距離電話をかけるには、電話局など決められた場所へ行き、申し込み、長い間待たされ、ようやく通じるという具合だった)。
「俺は今、上海に居て(ガールフレンド達とワイワイやっていて?)、明日厦門へ帰るから~」
私は咄嗟に彼を旅行に誘うことにした。
「俺は敦煌に行こうと思って、明日汽車で上海(36時間程かかる)に行くんだよ。一緒に敦煌に行かない?」
彼は既に 上海→厦門 の汽車の切符を購入していた(当時中国で汽車の切符を取るのは大変だった)こともあって、返事をシブっていた。次に私が何を言ったのかを忘れていたが、彼はしっかりと憶えていた。
「今、敦煌では『敦煌』っていう映画(西田敏行主演)の撮影をやっていて、女の娘が沢山押し寄せているらしいよ~」
その一言は彼の意志を変えるのには十分だったらしく、即汽車の切符をキャンセルし、一緒に敦煌を目指すことになったのである(結果から先に言うと、敦煌では女の娘など一人も見かけることなく、ツアーで来ていたおじさんがロバに手を伸ばしていただけだった)。
上海でLちゃんと待ち合わせ、復旦大学で顔見知りの女の娘たちと再会したのも束の間、翌日には 上海→ウルムチ 行きの汽車に乗り込んでいた。寝台などいつ取れるかわからないから、とりあえず「座席」で乗って、後で寝台が空いたら移動しようと考えた(車掌にその旨伝えておいた)。運良く途中から寝台へ移ることもできて、無事に最初の目的地「敦煌」の最寄駅である「柳園」に着いた。記憶が曖昧だが、深夜に駅に着いたのではなかったか。駅近くの安宿で、敦煌行きのバスが出るまで数時間休んだ。
長時間の汽車の旅を終えて、宿でくつろぐLちゃん
バスは窮屈でとても衛生的だとは言えないが、若いからなのか、性格なのか、こういうことが全く気にならないのである。
バスの屋根の上には乗客が預けた荷物が山のように盛り上がり、アヒルまで載せられてガァーガァー鳴いていた。
それにしても、あの時、もし電話が無かったら、一緒に旅することもなく、彼はそのまま厦門に帰り、私は一人で出かけて行ったのである。彼は 上海→厦門 の汽車に乗り、私は 厦門→上海 の汽車に乗り、互いにそれを知ることなく、汽車はどこかの村ですれ違っていたに違いない・・・面白いな~と思う。[つづく]