気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

湯のみを味わう

2015-04-24 16:44:57 | 



 連日、この湯のみでお茶や白湯を飲むのを愉しんでいる。陶芸家・弥延潤太氏の手によって形にされたものである。この風貌は信楽の土が1200度を越える高温で焼かれ、土の中の成分が化学反応し、薪の灰がかかり、現れたものだ。
 色はとても複雑で、単色ではなく、混ざり合っている。黒でも灰でもなく、あえてたとえれば渓流の淵のような深い碧である。碗の内側にも群青の周りにガラス質の薄い緑があり、微かに薄紫が観える。それが何とも美しい。角度によって観えたり観えなかったりするので、湯のみを回したり、倒したりしながらその薄紫をさがす。

 
 実は弥延氏は小学校時代の恩師であり、今回の窯焚きの最終日にほんの少しだけお手伝い(体験)させてもらった。焼きあがった後、氏は「参加した人の焚き方(性格)によって焼き味が変わる」という手仕事の不思議さを説かれ、私などに対しても、作品に関わったということを認めてくれるのである。
 
 謙虚で飾らない氏が生み出す器は、どれも活き活きとして個性的である。

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25年前の北京の桜は 今年も咲いているだろう

2015-04-17 17:56:15 | 中国
 1990~92年に北京体育学院(現大学)に留学した。前回(1985~87年)厦門に語学留学していた私は、北京に来た当初、なんて色のない所(都市)なんだろうと思った。厦門には青い海と緑の山、そしてオレンジ色(洋館の屋根)があったが、北京の冬はその気候もあって鉛のような灰色だった。
 そんな北京でも春になると桜が咲いた。「玉渊潭公園」の桜である。中国人の女性が連れて行ってくれた(紫竹院公園、円明園なども彼女と行った)。このことは当時誰にも言わなかったので、誰も知らなかったはずだ。あの日、桜の木の下で何の話をしたのだろうか・・・思い出せない。
 いつだったか、彼女の自転車の後ろに乗ったときに、サラッと長い髪が流れてきて、それが心地よかったことを今、思い出した。あのまま自転車に乗り続けていたらどうなっていただろう・・・25年も前の春のことである。

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来生たかおのフレーズ

2015-04-10 19:39:44 | 
 来生たかおについて詳しくないが、私の知っている数曲には共通するものがある。それは極めて短時間に上昇するフレーズ(「来生フレーズ」と命名した)である。たとえば大橋純子が唄ってヒットした「シルエットロマンス」。冒頭の「恋する女は夢見たがりの」では、「こーい」「おーん」「ゆーめ」が「来生フレーズ」である。「こ・い」ではなく、「こーい」と糸を引くように情感を伴なってグーンと上昇する。ピアノではなく、ヴァイオリンやチェロのような弦楽器の響きである。このように唄われることで歌詞だけでは伝えきれないニュアンスを伝えることができる。先の「シルエットロマンス」、「こーいする おーんなは ゆーめみたがりの」と唄われると、主人公の女性は、既にうぶな少女ではなく、幾多の経験を経た女だということがわかる。「おーん」には「怨」の字がちらつき、うかつにも関係を持ってしまった男には怖ろしい未来さえ予想される。

 中森明菜の「セカンドラブ」は純情路線の歌だが、実はこの曲の中にも「来生フレーズ」は隠されている。「帰りたくなーい そばにいたいーの そのひとことーが言えない」。字面を追えば、2度目の恋をしている彼女が、いまだに臆病で積極的になれないでいるという内容だが、このフレーズから実は彼女が強い気持ちをもっていることを感得しなければならない。彼がもしそれに気が付かないでいれば、いずれ愛想をつかされることを覚悟しなければならない。明菜の歌では「スローモーション」にも「来生フレーズ」が散りばめられ、「あなたのポートレート」は冒頭から「来生フレーズ」である。「軽くウェーブしてる前髪がとても素敵」を「かーるく ウェーブ」と唄われるとき、悦びの中にも憂いがあり、ときめきの中にも冷静があることを知る。物語は偶然に見せかけた必然である可能性も出て来るのだ。
 「来生フレーズ」は本人が唄うよりも、他者に唄われた方がその威力を発揮すると思うのは私だけだろうか。

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問題は服ではなくて からだのバランス

2015-04-03 10:50:57 | 「立つ」健康法
「ユニホームの着方の良い選手は(野球も)上手い」と聞いたことがある。これは着こなし方ではなく、からだのバランスが良いからである。からだのバランスとは、筋肉の緊張と弛緩のバランスのことである。制服や体操着を着ても似合う人とそうでない人がいるが、それも外形の問題ではなく、緊張・弛緩の問題なのである。
 余分な緊張をせず、だらけ過ぎないこと。
このバランスを整えるには、キチント立つ練習から始めた方が良い。技術は二の次である。バランス良く立つこともできずに、技術を習得することができるはずがない。
 ファッションにしても、服を選ぶよりも前に、バランスを整えるところから始めた方が良いと思うのだが・・・何を着ても似合うのは、その人のバランスがよいからである。

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