気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

『手』

2007-06-29 19:02:30 | 気気

 自分など「何もできない」、「何の役にも立たない」と思っている人は、気気をどうぞ。

 この『手』を誰かの背中にあてるだけです。


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自分以外の何かに頼る

2007-06-26 19:51:55 | 気気

 ある問題が起こり、それに「とらわれる」ことはよくあります。それによって他の事が手につかなくなったり、気分がスッキリしなかったりします。そんな時に無責任な人がよく、「そんなことには拘らなければ良いのに・・・」などと言いますが、それができないから困っているのです。本人は「拘っているのは自分自身だ」ということも、百も承知なのです。

 このように自分で自分のココロをコントロールできないことはあります。自分でできなければ、自分以外の何かに頼らざるを得ません。気気はその一つの方法です。アタマの中に何かの「拘り・とらわれ」が有ったとしても、気気はできます。結果がどうなるか(とらわれが少しは減るのかどうか)はわかりませんが、少なくとも気気をすることには支障がありません。私自身は、気気をすると「拘り・とらわれ」が少し、減ります。


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気気は『脳が休まる』

2007-06-21 17:40:43 | 気気

 私たちは日常生活において、脳をよく使っています。仕事をするときにはもちろん、買い物や家事をするときでも、脳を使わないわけにはいきません。人はいつでもより良い方を取ろうとして脳を使います。買い物では、より安いものを、より質の良いものを選ぼうとします。仕事や趣味でも、より効率が良く、得のある方を選ぶのが普通です。

 気気は『結果を求めない』で、『ただ手をあてること』『ただ手をうけること』を目指します。簡単に言えば『(結果は)どちらでも良いこと』を目指します。どちらでも良いのですから、脳をあまり使わないですみます。絶対に結果を出さなければならない試験や、試合とは違います。だから『気気は脳が休まる』のです。


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気気はホメナイ

2007-06-19 19:59:05 | 気気

 気気は、誰かを特に褒めることは無い。たとえ手のあて方が上手かったり、相手の様子を感じ取ることができたとしても、それだけのこと。気気の会としては別に大したことではない。しかしそれを否定することも無い。ただその事実だけを淡々と認め、本人が語りたいのであれば、小さく淡々と語れば良いのです。整体の技術を追求したい人や、私にホメテもらいたい人にとっては、物足りない会です。

 一方で、不安があったり、自信がない人でも気気はできます。不安や自信の有無など、アタマの中だけのことですから。そういうアタマを含みながら、もっと大きなところでヤロウとするのが気気なのです。

 気気の会 ホームページ


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気気は『新鮮さ』がウリ

2007-06-15 20:24:10 | 気気

 気気の会では参加者の人たちに、技術の上手い下手、地位の上下などを求めていないので、そういう意味では皆平等で、安心して付き合えます。

 会は定期的に開いていますが、気分としては、毎回が新しい会というカンジが持てます。たとえいつも顔を会わせている人とでも、初めて会ったように手をあて合います。そういう『新鮮さ』が気気のカンジです。


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