私はテレビをあまり観る方ではないが、それでも最近震災関連の報道の中で、「感動」「善意」などの言葉が多い気がする。報道する側が意図的にそういうドラマティックな内容のものを探し、流しているのであろう。
孟子は、人は生まれながらにしてその性は善である(性善説)と言った。たとえば、井戸に落ちそうになっている幼子を見たら、誰でもそれを助けたくなるものだという。
大震災が起こり、おそらく本当に多くの人たちが、被害に遭った人たちに心を寄せているのではなかろうか。ある人は行動に移し、ある人は想いを持ち続ける。
老子曰く 「皆知善之爲善。斯不善已。(皆がその行動を『善』と言うことに決めたから、そうではないものを『不善』と言うことになった・・・白石拙訳)」 もともと「善」はなかったのである。しかしそれは「善」という概念が無かっただけで、「善」同様の内容の行為は行われていた。
多くの人が想いを寄せたり行動しているのは、そうすることが「善」だからではなく、自然にそう思わざるを得ないからである。だとすれば「感動」や「善意」などという言葉をわざわざ言う必要は無いだろう。自分や誰かの、「最初に在る純粋な想い」が見えなくなってしまう。