気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

臨済→野口整体→誰かに

2016-02-26 09:26:44 | 野口整体
 野口整体を習っていた4年間は、いつも「整体」のことを考えていた。野口晴哉氏の著作も繰り返し読んだ。今にして思えば、この4年間は知識の詰め込みの時期だった。もちろん、実践的な練習(愉気法・活元運動・整体操法)も毎週していたのだが、それも表面的であるが故「知識」である。野口整体において、それを身に付けるということは、知識や技術があることではなく、そういう生き方をしているかどうかである。
 野口整体を習うのを辞めたあと、多方面にわたる経験をしたが、「野口整体的な考え方」が自然に自分の中に根付いていることに気が付いた。わざわざそうしようとしなくても、そういう方向で考え、行動する。
 野口整体は、整体の分野だけで活かされるものではない。臨済の考えが禅の世界だけに留まらず野口氏に影響したように、野口氏の考えはまた何処かに影響する…野口整体の根本を理解した人によって。

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敏感な身体

2016-02-21 18:35:45 | 野口整体
 野口整体をキチントしている人は、身体が敏感だ。
 「愉気法」で相手に手を触れるとき、普通の人では考えられないほど丁寧にそれをする。力を抜いた手を、呼吸に合わせてやさしく当てる。自分が敏感だから相手にもそうできる。
 太極拳や気功の教室なので、慣れてない人に愉気法をさせると、力を入れ過ぎる人が多い。普段、言葉遣いが丁寧な人が、乱暴に手を触れるのをみると、こちらの方が本性なのだと思う。
 言葉もまた、「手」と同じく相手に触れるものだから慎重にしたいところだ。しかし、つい過ぎてしまい反省することも多い。
 野口整体をしていると「生きにくくなる」と聞いたことがある。人の気がわかるからだろう。自転車や車が、自分の横をスーと通り抜けるとき、運転者の気がわかってしまう。レジで釣銭を渡すときの掌の力、電話の声の調子、電車で横に座る人の動きから気がわかる。
 鈍感な方が生きるのは楽かも知れないが、やはり敏感な方がいい。傷つくことが多くても、小さなことに感動できた方がいい。

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丹田を信頼する

2016-02-14 09:49:13 | 野口整体
 野口整体の勉強を始めた頃、分からなかったのが「(整体を)何時終えるのか」ということ。異常は背骨やその両側の筋肉上に現れるのだが、人によってはそれが幾つもある。その中でどれを選択するのか、或はすべて整える必要があるのか。
 数年かかって、最終的に「丹田に力が出てきたら終える」ということにした。たとえ幾つかの異常が残っていたとしても。丹田に力があるということは、身心が本人らしい状態である(自然治癒力も一番ハタラクはずだ)。異常が残っていても、そのくらいは自分の力で何とかなる。こちらが治してしまうより、本人の力で治った方が良いのだ。
 整体師は職の性質上、とかく相手に対して出来る事は何でもしてあげたくなってしまいがちだが、相手のために「途中でやめる」ことも大事なことだ。しかしその意味を理解してくれる人がどれだけいるだろう。その意味を分からない人に教えるから野口整体では「整体指導」というのだが…。
 現在、整体をしていないが、するならば、相手の気分よりも丹田の充実を第一に考えたい。気分は言葉や音楽や匂いで簡単に変わるものだが、丹田はすべての条件が揃わなければ充実はしないから、丹田をより信頼している。

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北京で会えなかった気功師、会った気功師

2016-02-04 19:47:15 | 
 北京に2度目の留学をした1997年頃、大学の外に気功の師を求めていた。そんな時スイス人留学生から「白雲観(道教の総本山)」に、気功師がいるとの話を聞いた(名前も聞いた)。道教は仙人(不老不死)に成ることが目的であり、それを実現する手段として、丹薬の製造と共に気功法があった。そんな気功を教えてもらいたいと胸が高まった。
 何度か訪ねてみるものの、気功師には会えない。その後スイス人に同行してもらったが、白雲観の事務所は「そのような名前の者はいない」と一点張り。おかしな話だ。彼は以前、その人と実際に会い、話をしたのである。しかしそこは、ほれ、中国だからこういうことはあるのだ。「外国人にはやたらに気功(秘伝?)を教えてはならない」との通告が上から出たのかも知れない。
 それからもう一人、日本にいる中国人に紹介してもらった気功師がいた。断食で有名らしいその人は、清華大学内にいた。私が訪ねる時には15分ほどかけて自転車で、その人が来るときにはスクーターだった。彼の勧めで半年間、肉・魚を取らなかったが、効果は不明。技術的なことはほとんど教わらなかった。お金を貸したが、返ってこないのは日本も中国も同じこと。ただ、「気」を扱う人間なら、金に囚われれば(気の)質が落ちることくらい、自覚できるはずだが…

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