野口整体を習っていた4年間は、いつも「整体」のことを考えていた。野口晴哉氏の著作も繰り返し読んだ。今にして思えば、この4年間は知識の詰め込みの時期だった。もちろん、実践的な練習(愉気法・活元運動・整体操法)も毎週していたのだが、それも表面的であるが故「知識」である。野口整体において、それを身に付けるということは、知識や技術があることではなく、そういう生き方をしているかどうかである。
野口整体を習うのを辞めたあと、多方面にわたる経験をしたが、「野口整体的な考え方」が自然に自分の中に根付いていることに気が付いた。わざわざそうしようとしなくても、そういう方向で考え、行動する。
野口整体は、整体の分野だけで活かされるものではない。臨済の考えが禅の世界だけに留まらず野口氏に影響したように、野口氏の考えはまた何処かに影響する…野口整体の根本を理解した人によって。
野口整体を習うのを辞めたあと、多方面にわたる経験をしたが、「野口整体的な考え方」が自然に自分の中に根付いていることに気が付いた。わざわざそうしようとしなくても、そういう方向で考え、行動する。
野口整体は、整体の分野だけで活かされるものではない。臨済の考えが禅の世界だけに留まらず野口氏に影響したように、野口氏の考えはまた何処かに影響する…野口整体の根本を理解した人によって。