気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

野口整体を習っていた頃

2016-03-27 09:57:06 | 野口整体
 野口整体を習っていた頃、講義(レッスン)は夜なのだが、午前から行って掃除や資料作りをしたり、先生の整体の準備をしたりしていた。その時、某弟子(私よりも数年早く入門)から「意地悪」をされた。最初は「嫌な感じ」を受けながらも聞き流していたが、繰り返されたので先生にその旨お伝えすると、意地悪はピタッと止んだ。あの時、先生はどのような指導をされたのだろうか…。
 彼は「意地悪」をしたが「意地悪(な人間)」ではなかった。何故ならレッスン中は「意地悪」ではなく、私もいろいろ教わった。愉気法・活元運動・整体操法…何処にも「意地悪」の入る余地はない。彼はレッスンと、それ以外の時間を分けていたのだ。野口整体は上の技術だけでなく、生活(生き方)そのものだということが、分からなかったのだろう。もう18年も前のことである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師を求めない

2016-03-20 09:46:55 | 
 一時期、中村天風が好きで良く本を読んだ。しかしここ十年位は背表紙を見てもページを開くことはない。この心境の変化は何故だろう。
 中村天風は人物が大きいだけでなく、魅力的である。何処にいてもリーダーになり、人々を導いていくような人だ。
 今の私は、そういう強さを求めてはいない。自分を引っ張って行ってくれる師を必要としていない。もちろんこれは、自分が完成しているからではなく、足りない処も多いのだが…。生きる姿勢として、不安を抱えながらでも自分で考え、選び、行動していきたいという思いの方が強い。
  

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラッシックとアコースティック

2016-03-13 00:42:26 | 
 一ヶ月ほど前に、中古のクラシックギターを手に入れてから、音を出すのが楽しくてしようがない。
 ネック(左手で握る処)の幅や、ポジションマーク(左手を移動するときの目印)が無いことにも慣れて来た。初めはギターと私、互いに(?)よそよそしく感じていたが、一緒に歌っているうちに、次第に親しくなってくる。そう、ギターにはいのちがあるからだ。
 暫らくぶりにアコースティックギターを手にすると、あらためて「鉄弦」だということに気付く(クラシックギターはナイロン弦)。こんなに大きくて重たかったのかと思う。鉄のジャリジャリとした音が心臓を刺激して、それがまた指先に伝わり弦を弾く。2台のギターが私を通して影響し合っている。
(写真左側がクラシックギター・右側がアコースティックギター)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名曲を勝手に解釈する⑰・・・五輪真弓 「抱きしめて(愛は夢のように)」

2016-03-06 09:36:10 | 音楽
 世に「抱きしめて」「抱いて」という歌詞はいくらでもあるが、情感の深さで五輪真弓に並ぶものはない。
  だから抱きしめて 何も言わずに 
  別れを告げる その前に

 五輪が「抱きしめて」と歌う声の中にはあらゆる感情が含まれている。女は既に男が変わってしまったことを知り、諦めつつも、わずかな可能性をその胸に託す。今まで一度も裏切ったことのない胸ならば、不安を払拭して、いつものように恍惚感をもたらしてくれるはずだ。声が微かに震えているのは、自分に対する愛情が残っているのかを確認しなければならないところまで、愛の形が歪んでしまったことに笑わざるを得ないからだ。
 言葉で別れを告げずに、からだで別れを告げてほしい。言葉よりもからだを信じているからだ。一番好きだったその胸に言われたい。涙を止められるものがあるとすれば、言葉ではなく、ただこの胸だけだ。女は男の顔や言葉を忘れても、この胸の存在を決して忘れはしない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする