1985~1987年、中国福建省の厦門大学に留学した私はどんなものを食べていたのか、思い出しながら記しておきたい。厦門大学には留学生専用の食堂はなく、当初は中国人学生食堂を利用していた。各人がホウロウのボールのような器を持参し、先ず白米を適量買う。白米は日本のように柔らかくなく、あまりにも固かったので私たちは「ブロック飯(メシ)」と呼んでいた。おかずは洗面器のような入れ物の中に入って並んでいて、その中から2種類ほど選ぶと係の人がお玉ですくって、ブロック飯の上にかけてくれる。どの料理も脂っこくて、食が進まないことも多かった。当時留学生の間で言われいたのが、「男はやせて、女は太る」と。女性はどんなところでもたくましく生きていけるようになっているのかも知れない。
数か月すると、友人たちと外食することが増えた。校内の「小餐'厅(食堂)」の焼きビーフンはお気に入りで、独特の甘辛のタレをつけて食べた。そこにあるまったく泡の立たないビ-ルを私たちは皮肉と愛着をもって「馬のションベンビール」と呼び、それはポリ容器(今でいうピッチャー)にたっぷり入っていて、コスパは抜群だった。
食後にはいつも日本語を教えているT先生の部屋に行き、珈琲(わざわざ豆から引いてくれた!)をご馳走になった。時には「汾酒(山西省の名酒。アルコール度数60パーセント以上)」も飲ませてもらったが、それはきつい中にもほのかな旨味のある酒だった(その後汾酒以上に美味しい白酒にであうことはなかった)。T先生には数え上げれば切りがないほどお世話になり、心優しい中国人の学生も紹介してもらった。
大学の裏には海があり、海岸近くにも食堂が並んでいた。そこには行きつけの店があり、肉野菜炒めなどを注文するときには「胡椒を多めにね」とお願いした。そこの茶色い炒飯は加飯酒(紹興酒)を調味用として入れるのが妙で、時に入れすぎて酒臭いこともあったが美味かった。今でも一口食べれば、厦門の空の青さと、海から吹く風を感じることができるだろう。
そういえば時々、同室のLちゃんと自炊もした。豚肉やキャベツを市場で買ってきてガスコンロで炒めて食べた。キャベツの芯まで食べていたら、ある留学生に「芯には有毒物質がたまるから、癌になりやすいのよ」とアドバイス?されたので、それからは芯を食べなくなった。タイの留学生にもらった辛い調味料はクセになるほど美味しかった。
留学生仲間との宴会は頻繁にあり、一人一品持ち寄りのときには、白米を炊くのが私の役目だった。西洋の留学生はサラダなどを作ってくれた。中国では生野菜を食べる習慣がないから、貴重だった。
厦門は海鮮が豊富だから街に行けば蟹や蝦、鍋などを食べさせる店はあったが、今回は日常の食を取り上げた。
数か月すると、友人たちと外食することが増えた。校内の「小餐'厅(食堂)」の焼きビーフンはお気に入りで、独特の甘辛のタレをつけて食べた。そこにあるまったく泡の立たないビ-ルを私たちは皮肉と愛着をもって「馬のションベンビール」と呼び、それはポリ容器(今でいうピッチャー)にたっぷり入っていて、コスパは抜群だった。
食後にはいつも日本語を教えているT先生の部屋に行き、珈琲(わざわざ豆から引いてくれた!)をご馳走になった。時には「汾酒(山西省の名酒。アルコール度数60パーセント以上)」も飲ませてもらったが、それはきつい中にもほのかな旨味のある酒だった(その後汾酒以上に美味しい白酒にであうことはなかった)。T先生には数え上げれば切りがないほどお世話になり、心優しい中国人の学生も紹介してもらった。
大学の裏には海があり、海岸近くにも食堂が並んでいた。そこには行きつけの店があり、肉野菜炒めなどを注文するときには「胡椒を多めにね」とお願いした。そこの茶色い炒飯は加飯酒(紹興酒)を調味用として入れるのが妙で、時に入れすぎて酒臭いこともあったが美味かった。今でも一口食べれば、厦門の空の青さと、海から吹く風を感じることができるだろう。
そういえば時々、同室のLちゃんと自炊もした。豚肉やキャベツを市場で買ってきてガスコンロで炒めて食べた。キャベツの芯まで食べていたら、ある留学生に「芯には有毒物質がたまるから、癌になりやすいのよ」とアドバイス?されたので、それからは芯を食べなくなった。タイの留学生にもらった辛い調味料はクセになるほど美味しかった。
留学生仲間との宴会は頻繁にあり、一人一品持ち寄りのときには、白米を炊くのが私の役目だった。西洋の留学生はサラダなどを作ってくれた。中国では生野菜を食べる習慣がないから、貴重だった。
厦門は海鮮が豊富だから街に行けば蟹や蝦、鍋などを食べさせる店はあったが、今回は日常の食を取り上げた。