気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

高校時代の野球⑥

2017-10-27 08:30:10 | 野球
 我が校は有名校ではなかったが、強豪校とよく練習試合をした。うちのピッチャーが良く、他校にも名が知られていたからである。球が速いだけでなくカーブやシュートの切れも良く、面白いように三振を取った。左打者が振り遅れて、私の守っているショートにぼてぼてのゴロが来ることも多かった。どんなに強い相手でも、打ち込まれることはなく、負けるときは味方の打者が打てなかった時である。最後の夏(私の記憶に間違いがなければ)、1試合目で我がピッチャーがその年(西東京大会予選)の奪三振の記録を作り、2試合目に大雨の中、与四球の記録を作り、負けた。
 前に「甲子園が眼の前に見えた」と書いたが、その後「甲子園」が現れることはなかった。甲子園という目標を失ったのではなく、日々練習に打ち込むことが、すべてだったのである。
 最後に負けたときに、「甲子園に行けなかった」というよりは、野球がこれで終わるんだという不思議な感じがした。小学校4年生で始めた野球が初めて終わる…。充実感もあったが、それよりも野球からの解放、キツイ練習からの解放、という方が強かった。

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高校時代の野球⑤

2017-10-19 13:40:20 | 野球
 最上級生になって、一時監督が若い先輩に代わった。歳が近いこともあって親近感を持ち、新たな気持ちで野球に取り組むようになった。その頃、こんなことがあった。練習試合で私がサヨナラヒットを打って勝った試合後のこと。「あんなあたりなら打たない方が良かったんだよ!」と言われた。確かに「ドン詰まり」のあたりで、きれいなヒットではなかった。また私が毎試合1本程度のヒットしか打てないでいたとき、「1本のヒットで満足してるなよ」と言われた。どうしたらいいのか分からなかった。満足したことなど一度もないし、どの打席でも同じように「打つ気」でいたのだから。
 秋の大会ではブロック予選の決勝まで行き、1対2で惨敗した(私たちが負けたその相手が勝ち進み春の選抜甲子園に行った)。試合前に監督から「必ずカーブ(スライダー)が来るから、それを狙え」と指示があり、実際それをヒットした。試合後に「言った通りだろ」と言われた。監督は自分の思い通りに選手が動くことを望んでいたのかも知れない。もっとも当時の多くの高校は、監督がリーダーシップを取り、選手が付いて行く形だっただろうから、おかしいことではない。上から下への命令系統が明確で、意思が統一されるから成果が出やすいかも知れない。しかし選手の自発性は減るだろう。もっと言えば人の生きている勢いのようなものがなくなるのではないだろうか。
 監督と選手の関係は、国家と民の関係に似ている。私は老子が言うように国家の存在を意識することなく(感じないで)、生きていけるのが理想だと思っている。高校野球における監督と選手の関係も同様、監督が目立つことなく、選手が自身で考え行動するのが理想である。しかし、そのためには選手一人ひとりが自立していることが前提になる。私にはそれが足りなかった。監督云々ではなく、自分がどう生きたいのか、どういう野球をやりたいのか、そういうことを自問しなければならなかったのだ。
   

 

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高校時代の野球④

2017-10-12 08:13:05 | 野球
 高校野球では、練習中によく「声を出せ!」と言われる。例えばノックなどを受けるときに「さあ来い!」だとか、攻撃しているときには「さあ行け!」など。以外にも「オーイ」とか特に意味のない声でも出していれば良いとされる。「声を出す」意味として考えられるのは、気合を入れる、周りを鼓舞したり、盛り上げるということだろう。しかし私は、皆が声を出さなければならない状況は不自然だと思っている。

 無口な人もいれば、よくしゃべる人もいるように、野球をするときにも、声を出した方が良い人もいるし、静かにしている方が良い人もいる。集中する時に声を必要とすのか否かは、人それぞれなのである。静かにしている方が自然な人に対して、無理に声を出させることは不自然なことである。そうなれば本人は疲労するだろうし、良いパフォーマンスができるわけがない。個人の表現の違いを指導者だけでなくチームメートも理解し、画一的なやりかたを押し付けずに、個人の自由を尊重する環境が必要である。
 家の近くに某高校のグラウンドがあり、時々練習の声が聞こえて来るが、そこには自発的な響きが感じられない。静かであっても生命が躍動する、そんな高校野球を観てみたい。
 
 

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高校時代の野球③

2017-10-07 09:42:22 | 野球
 当時は練習中に水を飲むことができなかった。先生(監督)がそういうことを言ったことはないのだが、それを当然として練習は続けられていた。ある時、ボールがトイレの方へ飛んでいき、私はそれを拾いに行ったついでにトイレに駆け込み、水をがぶ飲みした。それを先輩マネージャーに見つかりグラブで叩かれた。「皆が飲まずに頑張っているのに、お前だけ飲むのか!」と。確かにその通りである。しかしあの喉の乾きを抱えながら、冷静にいるのは大変なことである。大汗をかいているのに水を飲まないというのは、何とも身体に悪いことをしていたものだ。からだに無理な負担をかけてまで求めるものなどあるのだろうか。たとえ根性や精神が鍛えられたとしても、それは偏ったものになる。身心の成長は抑圧された厳しい環境ではなく、落ち着いた自由な環境で初めて実現されるのである。

 3年生が抜け、新チームになって初めて練習試合に出場した。初打席は代打である。左ピッチャーの初球をとらえ、右中間スリーベースヒットを打った。試合後、嬉しいことが2つあった。1つは相手チームのキャッチャーに「ナイスバッティング!」と言われたこと。実はその人は、中学(シニアリーグ)時代の先輩だったのである。もう1つは先生(監督)にほめられたこと。
 「白石が走っている姿を見て、涙が出そうになったよ」と言われた。普段から練習している姿を見ていてくれたのである。
 
 

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