1989年の12月、私は内蒙古にいた。内蒙古大学に留学するべく申請をしていたが、その年の6月に起こった天安門事件の影響か、先方からの許可がなかなか出なかった。私はシビレを切らし、直接大学側と交渉しようと日本を飛び立った。しかし中国の情勢も変わらず、コネも無く、交渉能力に乏しい私に勝ち目は無く、結局留学の許可は下りなかった。
内蒙古に滞在した1ヶ月の間、日本人留学生のNさんに大変お世話になった。彼は内蒙古大学ではなく近くの大学に籍を置き、積極的に蒙古人と付き合い、自分の夢に向かっているような人だった。誠実さをユーモアで包んでいるような人柄のNさんは、いつも私のことを気にかけてくれて、食事に誘ってくれたり、蒙古人の友人を紹介してくれた。「蒙古を目指す人は、そこに骨を埋める覚悟が有る人が多い」と誰かが言っていたが、Nさんにはそういう気概があるように思えた。ただ「あこがれ」だけで蒙古に来てしまった私とは全然違うのである。
内蒙古大学のある「フホホト」からバスで3時間程行くと、草原がある。
観光用のパオ(ゲル)
雪原の上にカメラを置いて撮った。この日は「マイナス20度くらいだから温かいよ」と宿の人が言った。
動くモノが何も無い。まるで「絵」の中に入ってしまったようだ。よーく観ると、遠くで羊が草を食すために頭を上下している(写真、中央より上の黒いモノが羊)。
日本を立つ日の朝、父が玄関で「(お前は)景色を観に行くんだな」と言った。この草原に立ったとき、「景色」を観ているというよりも、「景色」の中に入っているような錯覚をした。しかし帰って来てしまえば、やはり「景色を観てきたのだな」と思えるのだ。