気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

目を開けて瞑想する

2019-11-30 08:40:57 | 「立つ」健康法
 「立つ」練習のとき、私は目を開けているが、教室で行うと、多くの人は目を閉じる。どちらでもよいのだが、慣れたら開けていてもできるようになる。
 目を閉じている人は大概「目を開けていると色々なものが目に入って、集中できない」という。確かに目を開けていれば、色々なものが目に入る。しかしそれだけならば別に脳を特に刺激することはなく、「キチンと立つ」邪魔にはならない。問題は「見る」ことではなく、執着することだからである。執着とは見ているものの中から何かを特に気にしたり、或いは見た物から何かを連想してしまうことだ。それは物事を比較・選択するハタラキである。物事を分別する意識(脳)がハタラキ出すと脳は休まらない。それでは、普段の脳の使い方と変わらない。「物を比較せず、一つに見る」方向に、脳を使うことが要点である。
 目を開けて瞑想することは、方法によっては「物を一つに見る」ことに有利になる。たとえば、部屋で立っているのならば、目に見えるものを一つずつ意識していく。カーテン、窓、机、壁、落ちている輪ゴム…ジグソーパズルを作り上げるように一つずつハメていき、最終的には一枚の絵を完成させる。それを作るには、すべてのピースが必要だという「アタリマエノコト」に気が付く。人物だけでなく背景もなくては完成しない。背景には、普段の意識では「ツマラナイ」と思うもの(たとえばコンセントなど)も含まれる。こういう作業を通し、人の意識は、相対的な物の見方から「一つに見る」方向になる。その意識の変化はからだを変える。立っているとその変化を如実に味わうことができる。

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小説の中のからだの感覚と現実

2019-11-22 09:18:56 | 「立つ」健康法
 司馬遼太郎の「峠」を読み返している。この小説の中に、私が普段している「立つ」練習の感覚と近いものがあったので驚いた。主人公、河井継之助が学僕の彦助と百姓一揆を抑えに行く場面、風の強い夜道をゆきつつ・・・以下原文。

「この風が、体を吹きぬけているようでなければ大事ができぬ」
「と申されますのは?」
「気が歩いているだけだ」
「ははあ」
「肉体(からだ)は、どこにもない。からだには風が吹きとおっている。おれはそれさ」・・・(新潮文庫上巻398~389頁)

またある時、石高制を廃止しようとする継之助は反対派から路上でけんかを売られた。相手が剣をぬき、地を蹴ったとき・・・以下原文。

しかし継之助は泰然と立っていた。抜きもせず、避けもせず、あごを心もち上にあげ、呼吸(いき)もみださず、風のなかで自然に吹かれていた。
(わが生命を)
風が吹きとおってゆく。それが継之助の平素の工夫であり、生き方であり、信念のありかたであり、さらにいえば継之助そのものであった。風をしておのれの生命を吹き通らしめよ。
―そのあたりの草も、石ころも、流れる水も、飛ぶ鳥も、その鳥の影も、すべておのれと同質である。すこしのかわりもない。・・・(同525頁)

 「立つ」練習のとき、みぞおちを弛め、余分な力が抜けると、からだの中に空気が入っているように感じる。その空気はからだの外の空気と変わりなく感じる。アタマ(概念)の世界では、自分の内外は違うものだが、感覚という基準で観れば同じである。

 河井継之助は長岡藩の将来を考え行動する一方で、個人としての継之助でもあった。元の性格なのか陽明学で作られたものなのか分からないが、緊急時には生死を超えた意識と、落ち着いたしなやかなからだになり、結果的にそれが活路を開いた。私心のない男の強さである。




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太極拳の前に「立つ」

2019-11-16 08:05:40 | 「立つ」健康法
 先日、某教室の生徒が他の生徒たちの動きを見て「太極拳がきれいになりましたね」と言った。型(套路)をする前に、時間をかけて「立つ」練習をしたからである。「キチンと立って」バランスを良くしてから太極拳をすれば、質の良い太極拳になる。別な言い方をすれば、「キチンと立つ」ことができずに良い太極拳はできない。
 そもそも人はうまく立ててはいない。普段、バランスの悪いまま生活している。だからと言って生活に不自由はなく、すぐにからだが悪くなるわけではない。世の大半の人は放置するが、私は気にする。なぜなら「キチンと立つ」練習をすれば、必ずからだが変わるからである。バランスが良くなるのは当然だが、普段とは違うもう一つの基準(物の考え方・からだの基準)を持つことができる。そういうからだを日々取り戻すことは、私にとって大事なことである。

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寒い人へ

2019-11-09 09:03:54 | 「立つ」健康法
 季節が冬に向かうと、寒がりや冷え性の人はつらくなる。体質ならば仕方がないが、習慣によってからだを寒くしていることもある。食べ物(冷たい飲食物を好む)や運動不足なども挙げられるが、アタマの使い過ぎが大きな原因だ。始終何かの心配をしていたり、何かを考え続けていることは、脳を酷使することになる。仕事や学問でアタマを使うのは当然だが、アタマを休ませることもまた必要なのである。
 アタマの休ませ方もいろいろあるが、私は「キチンとした立ち方」をすることでそれを実現している。教室でその方法を教えると、からだが温かくなると言われることもある。関心のある方は下記のツイッターをご参照いただきたい。

ツイッターへのリンク

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教える人と教えられる人の温度差

2019-11-02 09:15:46 | 
 太極拳や気功の教室を始めるときに「無料体験」なるものを開いて、人を集めたことが十回くらいはあるだろうか。取りあえず「無料体験」に参加してもらい、良ければ入会してもらうというものだ。結論から言うと、あまり意味がなかった。9割以上の人は「無料」だから参加しただけである。体験してみて良かったら正式に入会するという姿勢の人はいない。
 たとえば私の場合、読みたい本が図書館にないから読むのをやめようということはできない。それができるのなら、それは読まなくてもよい本なのである。同様に自分が曽て習い事をしたとき、習いたいから習っただけであり、金額やその他の条件でそれを決めたことはない。当然、教室を一番に考え、他の用事は教室以外の日にまわす。
指導者の熱量と生徒のそれが同じにならないのは、もともと(最初から)の「思い入れ」が違うからかも知れない。だとしたら仕方のないことである。私のできることは、教室内でできるだけ良いパフォーマンスを見せて、生徒の意欲を少しでも喚起できるようにすることだけである。

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