野口整体の創始者・野口晴哉氏は「心に関係のない病気は無い」ということを言っていたと、以前先生から聞いたことがある。当時、心とは感情(喜怒哀楽)のことだと思っていたが、法蔵(唐・華厳宗の僧)の言う「一切法皆唯心現 無別自躰(すべてのものはいずれも、ただ心の現れであって、心から離れた客観的なものなど実在しない)・井筒俊彦著作集9(東洋哲学)」心の在り方に近いのではないかと思っている。心を意識という言葉に置き換えるとわかりやすい。先の野口氏の言葉は「万物は意識(心)の産物であり、病も万物の一つであるが故、当然意識(心)と関係がある」となる。
無意識や潜在意識だけが身体に影響を与えているように思われがちだが、いわゆる普通の「意識」も身体に影響を与えている。意識(考える内容・考え方)を変えると身体(安定感・筋肉の様子)が変わることは、身体を観察してみれば分かる。私たちが普段どういう意識でいるのかということが、そのままからだの状態に反映しているのである。
ではどういう意識でいることが良い(自然・健康的である)のか。はっきりとした答えなどないのかも知れないが、教室での実験や経験から言えることは、単なるポジティブシンキングのようなものではないということである。それは具体的な或る一つの方向ではなく、物事をすべて在るがままにとらえる「禅」のような観方だろう。私は「立つ(練習)」時に、目の前にあるものを出来るだけ全部意識しようとする。たとえば、部屋に居るのであれば、窓、窓のサン、網戸、カーテンレール、部屋の隅、天井、天井の模様・・・普段はどうでもいいものをあえて意識していく。そうすることは恐らく、普段私たちがしている相対的な考え方を減らし、結果的にからだが落ち着いてくる。興味のあるものだけを観ようとする(取捨選択する)ことは、緊張が続き、脳が休まらないのだろう。
意識(心)が万物を作り出したかどうかは分からなくても、万物(人の思惑ではなく、すべて)を出来るだけ平等に意識しようとした時に、からだが自分らしくなることは分かる。
無意識や潜在意識だけが身体に影響を与えているように思われがちだが、いわゆる普通の「意識」も身体に影響を与えている。意識(考える内容・考え方)を変えると身体(安定感・筋肉の様子)が変わることは、身体を観察してみれば分かる。私たちが普段どういう意識でいるのかということが、そのままからだの状態に反映しているのである。
ではどういう意識でいることが良い(自然・健康的である)のか。はっきりとした答えなどないのかも知れないが、教室での実験や経験から言えることは、単なるポジティブシンキングのようなものではないということである。それは具体的な或る一つの方向ではなく、物事をすべて在るがままにとらえる「禅」のような観方だろう。私は「立つ(練習)」時に、目の前にあるものを出来るだけ全部意識しようとする。たとえば、部屋に居るのであれば、窓、窓のサン、網戸、カーテンレール、部屋の隅、天井、天井の模様・・・普段はどうでもいいものをあえて意識していく。そうすることは恐らく、普段私たちがしている相対的な考え方を減らし、結果的にからだが落ち着いてくる。興味のあるものだけを観ようとする(取捨選択する)ことは、緊張が続き、脳が休まらないのだろう。
意識(心)が万物を作り出したかどうかは分からなくても、万物(人の思惑ではなく、すべて)を出来るだけ平等に意識しようとした時に、からだが自分らしくなることは分かる。