気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

葉は落ちてはいない

2013-11-29 16:08:57 | 風景・自然

20131129  

 窓から裏山を観てみると、木々が紅葉した葉を落としていた。その面白さに惹かれ、暫くそれを眺めていた。枯葉が落ちることを「散る」と表現するが、詩歌に用いられるような物悲しさは、ここには無い。そのダイナミックで優雅な飛行を観れば、葉の一枚一枚の中に生命が宿していることを感じる。彼らは木の枝の先で、飛び立つタイミングを見計らっている。自分の好きな風が来るまでは、じっと待ち続ける。同じ風に乗った葉でも飛び方は一様でない。クルクルと高速回転するもの有り、ゆったりと空気に溶け込むもの有り、いきなり真横に飛び出すものも有り、色々である。

 普通紅葉といえば、木に付いた葉を観賞するのが一般的で、道に積もった葉の上を歩くのも趣がある。しかしハイライトは空中に舞う、その刹那にある。数十年間同じ土地に根を張り、成長し続ける木が唯一、動的に自己を表現できる場処と時間は空中である。花火は上がることで人の技術力を示すが、落葉は下に向かって生命の躍動を現す。地上に落ちた後は、再び長い静寂に帰る。


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川崎球場の思い出

2013-11-21 19:34:36 | 

 小学5年生の頃、父に連れられて何人かの友と一緒に「川崎球場」まで、プロ野球を観に行った。試合前に近くの海に行くと、そこには「真っ黒な海」があった。廃油のように見えた黒い海は、とても恐ろしく思えた(私が渓流釣りばかりで海釣りをしないのは、この記憶と関係があるのかも知れない)。

 試合は「大洋対阪神」戦である。前日に阪神の佐野選手がフェンスに激突して頭部骨折という大事故があった。阪神ファンだった私は、田渕選手や藤田平選手に声援を送った。実はこの日、センターの池辺選手がキャッチャーをするという珍事があった。今回調べてみると、試合中に正キャッチャーの田渕選手などがケガをしたりして、替えのキャッチャーがいなくなり、やむなく池辺選手が努めたということがわかった。

 どちらが勝ったのかは憶えていないが、試合直後に友達と、内野席の前にある網のフェンスをよじ登ったことは憶えている。友は途中で係員に降ろされたりしながらも再びよじ登り、何とかグランドに飛び降りた。私たちは「土」を持ち帰りたかったのだ。高校球児が「甲子園の土」を持ち帰る、それを真似してみたかったのかも知れない。多分、ビニール袋かなんかに「土」を入れ、持って帰ったのだろう。

 その後、試合を観に行けなかった友人T君に、「川崎球場の土」を分けてあげた。しばらくして彼の家に遊びに行くと、その「土」は丁寧にも瓶に入れられ保管されていた。瓶には手書きのラベルが貼ってあり、「甲子園の土」と書かれてあった。彼もまた、甲子園に憧れる少年だったのだ。


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歌は終わってはいない

2013-11-14 14:59:36 | 音楽

 23年間くらい使い続けている手作りの鍋?

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 実はこの鍋?の名称を知らない。当時「北京体育学院(現大学)」に留学していた時に、仲の良かったブルガリア人に貰ったものだ。彼が一時帰国した時に持ってきてくれたのだ。酒を温めて飲むためのものらしい。たしかその時に、これまた家で作ったという果実酒をもらったのだが、それがアルコールがキツいのにも拘らず、何とも言えない美味しさがあった。

 帰国後、酒を温めることなく、珈琲を入れたり、牛乳を温めるのに使っている。彼にとっては不本意かも知れないが、温めるに値する酒に出会うまでは待つしかないのだ。

 彼(中国名を「盖?基[gai er ji]」)とは、よく一緒に歌を唄った。それは即興の歌で、寮の廊下などで、いきなりセッションが始まる。声量のある彼の声はオペラ風になり、それに私が絡むという感じであった。抑揚のある響きは、衰えることなく続いた。その歌は、どうやって終わったのだろうか?いや、終わってはいない・・・我々は少しも疲れてはいないのだから・・・

 彼は歌っているだろう。私も歌っている。何処かで「ドブロウットラ(乾杯)!」したら、また「題名の無い歌」が始まるだろう。


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名曲を勝手に解釈する⑦

2013-11-08 15:42:36 | 音楽

 山口百恵の「横須賀ストーリー(作詞/阿木燿子)には、自分勝手に生きる男と、それに揺れる女心が描かれている。

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 「街の灯りが映し出す あなたの中の見知らぬ人」。男が初めて見せる顔や言葉、仕草に、彼女は戸惑い、「少し遅れながら あなたの後ろ 歩いていました」。

 「話しかけても気づかずに ちいさなアクビ重ねる人」「一緒にいても心だけ ひとり勝手に 旅立つ人」。男は、眼の前に居る彼女よりも大事な何かをもっている。それは他の女ではなく、趣味のような具体的な「何か」でもない。彼女に合わせることができないのは、自分のペースを崩せない、生き方そのものだからだ。

 それなりに長い時間付き合っては来た二人だが、彼女はまだ男のことを信じてもいいのかどうかわからない。だから確認したかった。

 「あなたの心 横切ったなら 汐の香りまだするでしょうか」。五感の中で、「匂い(香り)」程正直なものはない。見かけや声(言葉)は作ることができても香りは作れない。あなたが今でも変わらないモノ(香り)を持っていたら、それを信じたいと思った。

 「これっきり これっきり もう 」、会えなくなってしまうのではないかという不安に怯えながらも、「今日も私は 波のように抱かれるのでしょう」。心と身体は、行ったり来たり、すれ違う。

 ところで2番のサビの後半「これっきり これっきり もう これっきりですか」の「か」が、「かあー」と切れずに伸びて、次の「あなたの心・・・」の「あ」に繋がっている。それから3番の「私はいつも置いてきぼり あなたに今日は聞きたいのです」の「あなた」は他所の「あなた」とは違い「覚悟」を決めた声音で歌われる。山口百恵の情感のこもった歌い方は、強過ぎず、弱過ぎず、品格を失わない。それは「ささやかな欲望」「夢先案内人」でも発揮される。

中学生の頃買ったテープと、後に買ったCD 

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