気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

梅雨は、いのち漲る時

2013-06-27 15:53:24 | 風景・自然

 梅雨になると、体調を崩す人が多いらしい。

 しかしこの時期、山道を歩いたり、釣りをしていると、生物たちの活気づいた姿をよく眼にする。植物の種が発芽し、キノコが出てくる。アシナガバチが軒下に巣を作り、スズメバチは山中を飛び回る。ミミズが大きくなり、それを食べようとしてイノシシが土を掘り起こす。カラスが巣を守るために、大声を出して人を威嚇する。川ではヤマメが餌を活発に食べるようになる。・・・

 春が生命を起こす時ならば、梅雨は生命力を漲(みなぎ)らせる時である。

 人はどうだろう。そういう生命のサイクルに入っているのだろうか。不快だと感じるのは、室内にいるからではなかろうか。外に出て汗でもかけば、気持ちよく過ごせるはずだ。

※「蜂の子」を釣りの餌に使ってみたいと思っていたが、しっかりと守られていて、取るのは難しそうだ・・・

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「歌う」ことは「開く」こと

2013-06-20 20:50:19 | 音楽

 中学生の時、強い野球チームに所属していた。そこには野球の上手い先輩や同期の仲間がいて、厳しくて恐い監督の下、練習や試合をしていた。そういう環境の中、野球の下手な私は萎縮して、ココロを閉ざしていた

 中学2年生の時、先輩の活躍で関東大会を勝ち上がり、全国大会に出場することになった。私は試合に出ることは無いが、札幌で行われる大会に連れて行ってもらえた。試合後にバスで観光している時だっただろうか、順番に歌を唄うことになった。私はさほど緊張することもなく、アリスの「終止符」という歌を唄った。特に上手く唄えたわけではないが、皆に褒められた。それは私にとって嬉しい経験になり、それをきっかけに、少しづつココロが開いていった。

 ジャニス・ジョップリンの記録映画を20代の頃に観に行ったが、その中でジャニスはこんなことを言っていた。「絵は心を閉じさせるが、歌は心を開かせる・・・」彼女自身、絵と歌のどちらを取るかという時に、そのように考えて歌を選んだのである。

 ココロを開こうと思わなくても、歌を唄えばココロはもう開いている。私が褒められたのは、上手く唄えたからではなくて、ほんの少しココロが開いたことで、何かが伝わったからだと思っている。


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飛んでいる蝶は撮れない

2013-06-14 18:47:22 | 風景・自然

(写真に蝶は映っていません)

20130614_001

黄色い蝶が窓の右から左へ

暫くして左から右へ

梅雨のちょっとした雨の間に

この二日間のことは誰も知らない

観ているモノよりも観られているモノの方が幸せかも知れない

それを意識していなければ


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膝痛の経過を眺める

2013-06-07 19:59:15 | 気気

 3月の気気の会(24日)の時に、右膝を痛めた。長い時間正坐をして、立ち上がった時に、「ブチッ」と何かが切れるような音(?)がした。始めは大した痛みではなかったが、駅に向かう時には右膝に違和感があり、電車を降りて帰宅する時には、足を引きずらなければならなかった。

 翌日が一番大変で、朝いつものように山道を下ろうとするのだが、真っ直ぐに足を踏み出すことができない。身体を横にして、蟹のように進まざるを得なかった。電車に座って立ち上がる時や喫茶店で珈琲を飲んで立ち上がる時が、いつものようにスムーズに行かない。

 その日の夕方、教室の前に和式トイレにしゃがむと、スーッと楽になった。恐らくその「姿勢を取る」ことが、固くなった膝の裏からふくらはぎを柔らかくしたのだろう。しかしそれは根本の解決にはならない。「操体法」や膝痛に効くと言われている「操法」を幾つか試みたが、さほど変わらなかったのは、痛めた処が表面の筋肉ではなかったからであろう。

 結局、私がしたことは、全身に「気を通す」ということだけである。それは野口整体の「脊髄行気法」を全身で行なうようなもので、気功法のイメージ(意守)で気を導く(流す)やり方に近いかも知れない。

 痛みは、3日目くらいに半減したが、しゃがむ動作ができない。夜中(2時か3時位)に何度も激痛が起こり、目が覚めた。そういう状態が2週間くらい続き、眠れないこともあった。

 それから1ヶ月半がたち、70%くらい回復したと実感していた矢先、5月17日(金)から再び痛み出した(夜中の激痛も復活)。原因を考えてみると、

①前日(木曜日)に友人と酒をのんだ。4時間程ほぼ同じ姿勢でいた。

②数日前から正坐の時間を伸ばした。違和感があっても続けていた。

 それから現在(6月7日)まで、再び70%くらいまで回復した。

 

 私は今まで、膝を痛めたことは一度もなかった。今回初めて膝痛になり、その痛みを知ることとなった。

 深夜に膝が痛むのは、寝ている間に「彼ら」が仕事をしてくれているからだ。「彼ら」とは、血液であり、筋肉であり、神経であり・・・からだの全部のことである。私は「彼ら」のハタラキを全面的に信頼している。からだは、私以上に私のことをよく知り、その時々で最上の答えを出す。「最上」とは、自然の理に適っているということであり、人(個人の思惑)にとって一番良い答えではないことも多々ある。それでも「彼ら」の出した答えを、尊重し受け容れたいと思っている。

 「彼ら」の仕事が順調に行くように、最低限の準備をする。余分な緊張を、脳や筋肉にかけないようにしている。


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「尺山女魚」とようやく会えた

2013-06-06 17:21:17 | 渓流・鮎釣り

 先週29センチの虹鱒を釣った桂川(山梨)に今日も行った。今年は春先から「沢釣り」ばかりで、山間の暗い景色に慣れていたので、本流は視界が開けて全く別な世界だ。

 さて、先週のポイントに、庭で育てた?元気なミミズを投入するも反応なし。直ぐに川虫(クロカワムシ)に切り替えてみるが、気配なし。粘っても釣れるものではないので、適当に見切りをつけ、少しづつ上流に向かう。途中に岩を登らないとならない処があり、竿を畳んだりして面倒ではあるが、そうして次の場所へ行く。その「面倒」をしたおかげで、アタリが来た!グイグイと糸が引っ張られる。竿を立てて対抗する。水中に銀色の魚体が観える。虹鱒だろうか?魚に何度か空気を吸わせてから水面を滑らすように引き寄せると、うっすらとピンク色が映る。「うわっ山女魚だ!」久しぶりの本流ヤマメ(25センチ)である。

Photo

 次のポイントでも魚がかかった。水中で暴れた後、スルッと逃げて行った。針か糸が切られたのかと思ったがそうでは無かった。あれだけ竿を引っ張っても、針はかかっていなかったのだろうか(くわえていただけ)?

 調子に乗って更に上流を目指そうと一旦退渓し、少し歩いて入渓すると、前方に釣り人がいた(その人は上流方面から来たのであろう)ので、諦めて下流に行くことにした。

 15分ほど歩いて、下流に入渓。いかにも「ポイント」という処に餌を流してみるが、全く感応せず。そこから上流を眺めると、浅い瀬が続いているように見えて、あまり釣れそうにない。それでも行ってみると、どこも同じ浅さではなく、深みのある処もある。なんとなくやってみると、グッーンと強いアタリがあり、魚が走る!上流下流に!そして大きな岩の下に逃げようとする。私は慎重に、尚且つ逃げられないように(糸が切られないように)、耐え、何とか手前の浅瀬に引き寄せた。初めて見るその風格に驚いたが、無事に上げることができた。桂川・本流で初めて釣った「尺山女魚」である。

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