Motoharu Radio Show #074

2011年04月15日 | Motoharu Radio Show

2011/04/12 OnAir - 2nd. Week - 大瀧詠一を迎えて #2
01.大滝詠一:1969年のドラッグレース
02.大滝詠一:あつさのせい
03.大滝詠一:びんぼう
04.はっぴいえんど:さよならアメリカさよならニッポン
05.大滝詠一:空飛ぶくじら
06.小林 旭:熱き心に
07.大滝詠一:君は天然色
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・3月22日放送
今週は東日本大震災の緊急情報番組のため延期された3月22日の放送分を予定を変更してオンエア。

元春: Motoharu Radio Show。今夜は先週に引き続き、特別な方にゲストに来ていただいています。今月3月、『ロング・バケイション』30周年アニバーサリー盤と『NIAGARA CD BOOK 1』を出した大瀧詠一さんをゲストに迎えています。

・1969年のドラッグレース
元春が教育テレビでやっている番組「ザ・ソングライターズ」で、松本隆さんをゲストに迎えたとき、「1969年のドラッグレース」の詩は暗に大瀧さんにおくったものだと話していた。

大瀧 : '69年に細野さんと僕と松本くんと一緒に、松本くんが運転して、軽井沢からぐるっとひと周りする旅というものをやったんです(笑)。あのときの歌です。結局ね、曲ができなかったんだよね(笑)。彼曰く、あのときの思い出を曲にしたんだと思います。

元春 : あの詩というのは、やっぱり大瀧さん、松本さん、細野さんが共有していた景色というふうに僕ら思っていいわけですよね。

大瀧 : 思っていいと思いますけどね。はっぴいえんど以前というか直前ですね。はっぴいえんどはじめるぞというような、それがおそらく'84年になって、15年経ってたわけですよね、『Each Time』のときには。そのときに、「まだ終わりじゃない」というようなことを、彼は言いたかったわけじゃないですか。僕は終わるつもりだったですけどね(笑)。

元春 : すばらしい。今回大瀧さんが来てくださるということで、大瀧さんが作詞をし作曲をした曲をピックアップしたんですけれども。

大瀧 : すいません、わざわざ、なんか気を遣っていただいて。大した歌はないですよ。言っときますけど僕の詩はね(笑)。

元春 : 初期の作品においては擬音が多いですよね。どどどど、とか、いらいらいら、とか。

大瀧: 多いですよね~。あれはオノマトペ。宮沢賢治は僕は一回も読んだことはないんだけれども(笑)、オノマトペが多いというのはあとで聞きましたね。やっぱり同県人だからなんでしょうか。

元春 : 言葉の韻律というものに焦点を合わせて見ていくと、大瀧さんはじめてやった楽器がドラムということで、リズムから先にくる人なんだなということをわかった。

大瀧 : リズムです。

元春 : ソングライティングにおいても歌詞を書くときに、その意味性よりも韻律のほうに先に...

大瀧 : 仰る通り。意味性よりもというより意味性なし。音律100%。

元春 : あはははは。けっこう意味が出てると思うんですけれども(笑)。

大瀧 : あとでこじつけ。意味は全く考えたことないですよ。自慢じゃないですけど。「あつせのせい」ってのがあって、みんな言ってて。「あっ! と驚くためごろう~」のがあの頃流行ってたのよ。「あっ!」っていうふうに言ったら、次に人は「と驚くためごろう~」と頭に浮かぶだろうと。で「つさにのぼせあがった」と違うの言ったら、ガクっとくるだろうっていう。そういう(笑)。ふふふ。ウケた? ウケてるね~。いいよ(笑)。

「あつさのせい」

・ツイッター
「さて、Motoharu Radio Showでは今番組を聴いてくれている全国リスナーのみなさんがインターネット上で楽しくコミュニケーションできるツイッターという仕組みを採用しています。ここに参加したいという方は今からURLをお知らせするので是非書き取ってください。番組からツイッターのお知らせでした」と元春。
http://www.moto.co.jp/MRS/

元春 : そのような擬音だけではなく、ソングライターの大瀧さんが使う言葉というのは心に引っかかりをもたせる言葉というんですかね。濁音を使うのがひじょうに上手だなと思うんですね。初期の詩においては「びんぼう」ですね。これ完全に濁音ですよね。これがロックのリズムに合いまると、ぴったりというか韻律を感じるというかね。この「びんぼう」という曲を書いたときのことを覚えてますか?

大瀧 : 覚えてますよ、もちろん。ジム・リーブスにあるんですよ。「Bimbo」。(一節歌う) うん、これは「びんぼう」で行こうと(笑)。

元春 : あははは。

大瀧 : なんかね、ホーボーとかね、旅して歩いてるとか、そういう人たちの歌なんだよね、どういうわけだか。それでこれは「Bimbo(びんぼう)」はおもしろいなぁと思って。たったそれだけ。あとは意味性、何にもないですよ。

元春 : 意味はあとから(笑)...

大瀧 : もちろんです。意味はないんですよ。追及されるとひじょうに困る、ない(笑)。

元春 : 宝くじ買って十時 あたって余った金がザクザク だけど びんぼう どうしてもびんぼう びんぼう びんぼう ひまだらけ

大瀧 : だから宝「くじ」だから「十時」にしただけでしょ。

元春 : ふふふ。しかし、ここで韻律を踏んでるわけですよね。

大瀧 : まっ、言えばね(笑)。

元春 : 当時このようなライミングしてる人っていうのは、それほど...

大瀧 : ライミングっていうの、これ(笑)。ふふふ。

元春 : ははははは。

大瀧 : 駄洒落だよ、ただの(笑)。ふふふ。

「びんぼう」

・びんぼう
1972年、はっぴいえんど在籍中に出たソロ・アルバム『大瀧詠一』から。はっぴいえんどのグループ内ソロみたいな感じで、レコーディング・メンバーもはっぴいえんどのメンバーが多い。ソロ・アルバムのカッティングの工場から羽田に行ったと大瀧さん。はっぴいえんどサード・アルバムのロサンジェルス録音の旅立ちの日だったとか。ロサンジェルスから帰ってきてから、ソロ・アルバムの見本盤を聴いてるそうだ。

はっぴいえんどのロサンジェルス録音はサンセット・サウンド・スタジオで行ったとか。「外はいい天気だよ」のオルガンは『Pet Sounds』のときにブライアン・ウィルソンが使ったオルガンだったそうだ。エンジニアのウェイン・デイリーは直前にデイヴ・メイソンのアルバム『Headkeeper』のエンジニアをしていた人。大瀧さんが「田舎道」を歌ったら、「デイヴ・メイソンにそっくりだ」とお世辞か皮肉かよくわからないことを言ったという。

元春 : このアルバム(『HAPPY END』)ではアディショナルのミュージシャンとしてヴァン・ダイク・パークスも参加してましたけれども。僕、大瀧さんに伺いたいのは、大瀧さん、その後、あまり海外でのセッションというのは...

大瀧 : 全くありません。あれが最初で最後。僕は個人的に。

元春 : これは僕、大瀧さん、きっと独自の何か見解があると思うんですけれども。日本でのレコーディングにこだわる理由というのは何かあるんですか?

大瀧 : あぁ~。う~ん。めんどくさいからね。飛行機嫌いだからね。

元春 : あははは。ヴァン・モリソンと同しですね(笑)。

「さよならアメリカさよならニッポン」

・空飛ぶくじら
1972年5月発売のシングル。ソロ・アルバム『大瀧詠一』が出る半年前に出た2枚目のソロ・シングル。元春が中学生の頃、12歳くらいのときによくラジオでかかっていたという。大滝詠一は出版社を変えてその第一弾だったとか。未だにその出版社と続いてるそうだ。

大瀧 : 僕はジョン・レノンのファンで、まぁ、ポールも大好きなんだけれども、ポールのほうが一般的にわかられているという考え方だったのね(笑)。当時。ジョンはわかりにくいというね、ブルース・コードが多いしね。ポールはいろんな、「Yesterday」とかわかりやすい音楽を作る人だという印象があったので。ポールのような歌作りはしないっていうのが(笑)、はっぴいえんどのときの、なんとなく全員の不文律というか。別にジョンというわけでもないんだけれど、あんまりわかりやすい曲じゃないものをやろうというのが暗黙の了解であったと思いますよ。

元春 : しかし大瀧さんの中にはそれをやりたいという気持ちがあった...

大瀧 : いやソロだから。ソロだから違ったことをやったほうがいいのではないかっていうことで、あえてソロだからやったんですよ。だからB面の「五月雨」っていうのは適当な長唄で、ベース以外全部自分でやるとか、そういう遊びだったんですよ。多少、今になって思えばメロディメーカー的なものの端緒がそこであるのかもしれないけれど。なんせねぇ、曲を作って二年目だからね。幼稚さはご勘弁願いたいね(笑)。

元春 : 珍しい楽器を使ってたんです。クラリネットかなんかですよね。

大瀧 : あの頃はね。ポールが、ほら「Honey Pie」だとか。

元春 : ノスタルジックな響きがありました。「空飛ぶくじら」というのはね。

大瀧 : また、あのクラ(リネット)の人上手かったんだよねー。

元春 : スタジオ・ミュージシャンの方ですか?

大瀧 : うん。佐野さんだったかな、上手い人だったなぁ。

「空飛ぶくじら」

・ロックンローラー

元春 : はっぴいえんどのレコードを聴いててわかるのは、僕なんか聴くと、あっ大瀧さんはロックンローラーだなぁって思うんですよね。で、何かの記事で読んだんですけれど、細野さんに「ロック・シンガーはシャウトだよ」って言われた。

大瀧 : ふふふ。細野さんが言ったんだよね。なんというか嬌声というか奇声というか、ほらリトル・リチャードのような、ジョン・レノンも「Slow Down」とか、そういうようなときにやる、あのシャウトはまだやってないねって言うから(笑)。それで「びんぼう」のときに無理矢理入れたの。エルヴィスもああいう、これ見よがしのシャウトはしないんだよね。歌自体がひとつのシャウティング・スタイルというようなことで、奇声を上げるリトル・リチャードのようなのってないので、あんまりそういうのは言われたことなかったんだけれども。まぁ、ジョン・レノンはやってたから、やってたんだよ。ラリー・ウィリアムスばりっていうかね。ポールはリトル・リチャードのシャウトで、ジョンはラリー・ウィリアムスのシャウトだったんだよね(笑)。そういうようなことがあって、そういえば「やってない」って言われたから、強引に入れましょうということで、それで「びんぼう」にあえて出来損ないのシャウトを入れてみました。

元春 : はっぴいえんどで肉感的な唱法を持っていたのは何といっても大瀧さんだと思いますね。

大瀧 : 自分ではロックンローラーだと、ドラマー上がりですから。

・分母分子論

元春 : しかし大瀧さんは日本の歌謡の歴史に詳しいことで知られてますよね。大瀧さんの持論であるいわゆる「分母分子論」ですよね。これは日本のポップスを、世界史分の日本史で捉えた、なるほどなっていう理論だと思うんですけれども。この理論は発表された後考え直しが入ったり、あるいは更新したりということは今あるんですか?

大瀧 : そうですね。NHK-FMで'90年代に二回やったんですけれども、「日本ポップス伝」というものをね、湊プロデューサーのもとにやりましたけれども。あれは「分母分子論」のラジオ版だったっていうふうに思ってます。明治から1970年までというのを二度に渡ってやったんですけれども、いろんなことをやろうと思えばまたやれると思うんですけれど、各論的に大筋はあんなもんなんですよ。だから部分部分のところを掘り下げるっていうようなことは必要だなっていうふうに思いました。それ以降、なんと演歌の大御所、船村徹さん、遠藤実さん、作詞家の星野哲郎さん、そのお三方にインタビューを試みました。それで小林旭さんを中心に当時昭和30年の歌謡がどういうものであったかというのを、直に私が質問したところ、「これは異種格闘技である」といわれました(笑)。確かに向こうの人は僕のことなんか知らないわけですよね。全く畑違いなわけだから、なんだけれども大先生は懐が深いというかね、話を聞いてくれて、こっちの拙い質問もちゃんと丁寧に答えてくれたんですけれども、そういうふうな各論に行くんだと思ってます。それからもうひとつはね、「日本ポップス伝」の前に「アメリカン・ポップス伝」というのを実は僕はやってるんです。ただそういう名前じゃなくて「Go! Go! Niagara」というラジオ番組が「アメリカン・ポップス伝」だったんです。先に「アメリカン・ポップス伝」をやっていたんで、次に「日本ポップス伝」をやったということなんです。ラジオ関東のときは「アメリカン・ポップス伝」って名はうってないんです。途中で終わると思ってなかったので未完で終わってるんですよ。ですから「日本ポップス伝」のような「アメリカン・ポップス伝」をやろうと思ってます。

元春 : それは興味深いですね。これはもうステーションとか決められてるんですか?

大瀧 : あの心の中では決めております。今晩、夜、個人的に誰かに発表するかもしれません。ふふふふ。まだ誰にも話しておりません。

元春 : 大瀧さんの中では「Go! Go! Niagara」と「日本ポップス伝」というのは対象は違えども...

大瀧 : 同じです。「分母分子論」の論になる前のものは、すでに混沌とした形ではあったけれど提示していたと。今度僕『NIAGARA CD BOOK 1』という12枚組のボックスを出したんですけれど、その中に入ってる12枚というのも、それが「分母分子論」なんですよ。作品の中に評論活動を入れたっていう、ちょっとかっこよく言えばの話ですけれど。言っときますよ、大した歌じゃないですよ。ここはね、強調しときますからね。真面目に聴いちゃあダメですよ。こういうのは聞き流すのがいちばんいいんですけれど、ただそういうつもりになっていますね。結果的にそうなってると思いました。

・小林旭

元春 : 僕が大瀧さんが他のシンガーに書いた曲で好きなのは小林旭さんの「熱き心に」ですね。今でも小林旭さんご自身のコンサートのオープニングをこの曲を歌って...

大瀧 : オープニングとクロージングは必ずこの曲を使っていただいてるんですよねー。

元春 : 光栄な話ですよねー。

大瀧 : 本当に有り難いっていうか、身に余る光栄ですよ。だって1曲しか書いてないんですから。

元春 : 大瀧さんの世代から見て小林旭さんといえばやはりスターという感じですか?

大瀧 : 大スター。映画スターでもあるけれど僕は歌も好き。すごく好きだったんです。

元春 : これは大瀧さんのほうからオファーしたんですか?

大瀧 : これは向こうから。向こうからって旭さんでもないのよ。CM。CM会社の人がいて、旭さんを起用するってアイディアが絵のほうから出たと。音は誰かないだろうかってことで、それは僕がCMを最初にやったのは'73年なんですけれども、'73年からずっーと付き合ってるCMの会社があるんですね。で、そこの人が福生に来て録音なんかしていくわけですよね。来ると暇なのでいろんな話をするわけですよ。そのときに僕が編集した小林旭ビデオというのを見したりしてたの(笑)。で、僕がファンだってのを何年も前から彼は知ってたのね。で、ホントに'85年になったときに、久々に現れて未だに忘れられない、「大瀧さん、今度は断れませんよ」って(笑)。あのひとことは忘れられないですよね~。あぁ、ようやく来たか~って感じでしたね。で、僕も全身全霊を込めて。で、僕が作ったっていうよりも、やっぱり旭さんとか、総体のね、それまでの作家の人なんかのアレを全部たまたま代表してまとめることができたっていうようなことだと思いますよ。

「熱き心に」

・フィードバック
「Motoharu Radio Show。番組ではみなさんからの楽しいフィードバックを待ってます。番組専用のウェブサイトを用意しているので、是非ご覧になって曲のリクエスト、番組へのコメントを送ってください。みなさんからの楽しいフィードバックを待ってます」と元春。
http://www.moto.co.jp/MRS/

元春 : 『ロング・バケイション』30周年おめでとうございます。このアルバムを聴いて僕が思うのは'80年代の空気感ですよね、海辺の景色とか、海辺のドライヴとか、そういった景色を思い出すんですよ。『ロング・バケイション』30周年アニバーサリー・エディションは今のリマスタリングで提供しているという理解でいいんですよね?

大瀧 : これ以上のことはないというふうに思いました。最早。ええ。CD第一号にしてもらってね、たまたま第一号になってしまったのでCDとずっと付き合いましたけれども、そろそろCDという形態も終わるっていう噂もありますけれども(笑)、30年やってきて、大体行き着いたところはこんなもんだったなって感じですかね。

元春 : 『ロング・バケイション』という、あの作品が持ってる質感についてお話したいんですけれども。正に'80年代初期の日本の景色を描いたのか、それとも『ロング・バケイション』があのような内容だったので、そのように日本の景色がなっていったのか、定かじゃないんだけれども、今聴いても時代をすごく感じるんですよ。

大瀧 : 確かにそうだと思いますよ。'80年の4月にはじめて8月にオケは全部録り終えてるんですよ。本来は'80年の728に出る予定で作っていたんです。だから'80年の景色ってんだか、そういうものが缶詰されてる音だとは思いますね。リゾート法っていうのも'79年だったらしいんだよね。社会的に。あとになって調べた話ですけれど。それがあるのと、あとは'80年のウォークマンの登場というんですか、それが音楽が外に出たとか一般的な言い方をされましたけれど。

元春 : たぶんリアルタイムで『ロング・バケイション』という傑作を聴いてる人はこの番組のリスナーの方に多いと思うんですけれど。1曲目がはじまった途端にその時代の景色がよみがえるというか、ひじょうにノスタルジーを喚起させる力が強いんですよね、『ロング・バケイション』という作品は。

大瀧 : 最初出たときからという意味ですか? リアルタイムのときから?

元春 : いや、リアルタイムのときは時代と並走しているから心地よく聴けたんですね。大瀧さんのメロウなヴォーカル、心地よく聴けた。これが10年経つ、20年経つ、30年経って今聴くと、今の時代にはない独特の'80年代のあの時代の雰囲気というものを強く喚起させるというか...

大瀧 : そうですか。特別覚えてないですよ、佐野くんの「アンジェリーナ」だって'80年だし、みんなあの頃の人たちいっぱい出してるから、共通なものなんじゃないですか?

元春 : そうですよね~。なんだけれども『ロング・バケイション』の持ってる情緒性というんでしょうかね。もう何か良質なノスタルジーが最初からパックされていたかのような...

大瀧 : 詩のせいだと思うよ。言葉だと思います。やっぱり言葉の力は強いんですよ。これは「あたりはに わかにか きくもり」と歌ってたらなんともなんないでしょう(笑)。

元春 : ははは。はっぴいえんど時代とは全然違いますけれどもね(笑)。吉田保さんと大瀧さんが構築した独特の透明なリバーブ感というか...

大瀧 : あのレコーディングはね、'80年代にもう行われてないレコーディング方法をやったんですよ。「君は天然色」、「Velvet Motel」、「カナリア(諸島にて)」、それから「(恋する)カレン」、「フォー・タイムス・ファン(FUN×4)」の5曲は一発録りなんです。ツーチャン(ネル)の一発録り。だから半分はツーチャン(ネル)で一発録りです。あとはバラード、「スピーチ・バルーン」とか「(雨の)ウェンズデイ」とかは普通のマルチ録音ですけれど。それがちりばめられてるというのが、ひょっとしたら聴き飽きることのない音の関係性かもしれないと思いましたけれど。それは確信犯です。ツーチャン(ネル)で一発録りするということをやってみました。

元春 : そうでしたか。ミュージシャンたくさんスタジオに集める。そこでレコーデットしている時点で、エンジニアである吉田保さんと大瀧さんは最終の音像みたいなものが確実にあったと、こういう理解ですか?

大瀧 : 僕はナイアガラその前の5年間でエンジニアをずっーとやっていて、何度もトライしてるんですよ。それが『ナイアガラ・ボックス(NIAGARA CD BOOK 1)』でありますから聴いてください。自宅のスタジオでずいぶんいろんなトライをしてるんですよ。その試行錯誤を大きなスタジオでやったということと、吉田保さんのようなプロのエンジニアが誰かいてくれると、僕のエンジニア部分の労力が代理でやってもらえるし、インチキな詩を書かなくていいしね、松本くんのいい詩がアレだしね。詩は松本くんに書いてもらう、エンジニアは吉田保さんにやってもらうということで、僕はふたつの重荷から解放されてるわけですよ。完璧にサウンドだけに集中できたというのがこのアルバムなんですよ。あの頃はみんなマルチ録音で24になった。16チャンネルから24チャンネルになってるし、『(Niagara) Triangle 2』のあとの『Each Time』は24同期させてるんですよ。48でやってるんですけれど、そういうふうな時代だからこそツーチャン(ネル)一発録音のようなものが、福生でもやってるんですけれど、それを大きなスタジオでやろうということを長年構想して温めていたんですね。

元春 : 『多羅尾伴内楽団』の演奏を聴いてみると確かに一発録りの筋の通った演奏感みたいなものを感じますね。ダビングして録ったんじゃないなという感じはありますね。全員で滑走しているという感じ。

大瀧 : そうそうそう。クールなものはダビングの、あの個別な音がクリアに聴こえるというようなものは、バラードなんかはいいんですけれども、やっぱりロックンロールはね、一気にやらないとダメですよ。だからリマスターしながら、遊びながら、「君は天然色」のアコースティック・ギターのだけっていうのがあるんですよ。ほれでね、後半すっごい音が大きくなってるの。(上原)ユカリ(裕)のドラムが乗ってきて、あの、かぶりがすっごい大きくなってるの。最初はすっごい小さいんですよ。で、アコースティックだけのって、アレがやっぱりねぇ、一発録りの良さですよね。ユカリの演奏、盛り上がってきてるから、アコースティックの連中もかき鳴らし方が力が入ってくるわけですよ。そういう自然感も録音したかったというのがあって一発録りにしたんですけどね。そういうようなことで、もしね、中身よりも何度聴いても飽きない音だっていうふうに思われてもらえるなら、原因はそこにあるのかなぁっていうような気がするんですよね~。

「君は天然色」

元春 : そうしたサウンドでいうと、よく大瀧詠一流フィル・スペクター・サウンド、ウォール・オブ・サウンドなんていうような説明の仕方もありましたけれども...

大瀧 : 『ロング・バケイション』の中では3曲しかないですけれどね、スペクター・サウンド(笑)。ふふふ。冬の歌あるしね(笑)。

元春 : 僕、不思議なのは、当時'80年代、フィル・スペクターのレコーディングの現場などは、例えば今でいうとYouTubeに載ってますけれども、当時はそういう資料みたいなものは書物でしかなかったんじゃないですか?

大瀧 : ないですね。ありません。想像です。全部想像。僕はアメリカはフィル・スペクター、イギリスはジョー・ミークというプロデューサーが好きで、「(さらば)シベリア鉄道」というのはジョー・ミークへのトリヴュート・ソングなんですけど。その前に『多羅尾伴内楽団』でジョー・ミークには何曲もトリヴュートしてたんですね。で、最近、ジョー・ミークのところのライヴ・ビデオが出たんですよ。で、福生の鏡がないので、演奏者に行くときは戸を開けるんですよ。戸は二重になってるんですよね。音が洩れないように。で、開けて「あぁ、あそこのとこどう、これこう」と言って帰ってきて、それでエンジニアを閉じてやるというのを、ジョー・ミークがやってた(笑)。あの人も八畳ぐらいの狭い部屋だったのね。それでやっぱり閉じてて、ガラスがなくて、ほんでミュージシャンに指示するときに、いちいち戸を開けんの(笑)。それはね、同じだったのでびっくりして。それでベース、ドラムの音の代わりにバスタブに入って全員で足、ドーン、ドーン、ドーンっていうふうにやったとかね。

元春 : バスタブのリバーヴを使った。

大瀧 : そうです。僕、『多羅尾伴内楽団』で4人にブーツ履かせて、木の板を踏ませましたけど(笑)。みんな、やってんですよね。いや~驚きましたねぇ。でも、そういうの観てね、あぁ、やってんだっていうね(笑)。

元春 : そうですよね~。昔はそういう手作りの録音でしたよねー。

大瀧 : そういうことしかできなかったのでね。自宅のスタジオの良さっていうのか、ああいうような、いろんなことを試すことができたので、ようやく『ロング・バケイション』のときにそれが生きたと思いましたね。

元春 : 結局、時代を経てみると、そういう手作り的な音、マニファクチュアな音のほうが人々に長く聴かれますよね。

大瀧 : と思いますよ、僕は。いろんな工芸品なんかとか、ああいう大量生産のものは、そのとき安かったり、大量に出たってものは残らないんじゃないですか。

元春 : 僕もそう思いますね。今夜どうもありがとうございました。

大瀧 : いや、どうも。

・番組ウェブサイト
「番組ではウェブサイトを用意しています。是非ご覧になって曲のリクエスト、番組へのメッセージを送ってください。待ってます」と元春。
http://www.moto.co.jp/MRS/

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Sunday Song Book #965 | トップ | Sunday Song Book #966 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Motoharu Radio Show」カテゴリの最新記事