映画『ノー・ディレクション・ホーム』(第二部)

2006年03月24日 | Bob Dylan

第一部のラストは駆け足で1966年まで紹介されました。アメリカでは二夜に渡り放映されたので、第二部の予告編的な意味合いがあったかもしれません。だから第二部は1966年の英欧ツアーからはじまり、時間を遡る形で1963年に戻ってスタートします。

1966年の英欧ツアーは映画『ドント・ルック・バック』を撮ったD.A.ペネベイガーがディランをドキュメンタリー撮影しています。これは後にディラン自身が監督し、映画『イート・ザ・ドキュメント』として、一部の劇場で公開されたのですが、ドキュメンタリーとしては失敗作で、今のところ正式な製品として発表されていません。

イギリスの街頭に出たディランはペットショップの看板を見て、パズルのように言葉の配列を換えて楽しんでいます。トピカル・ソングからプロテスト・ソングへと、表現の枠を広げていったディランの詩作が、また新しい領域に入ったことを示す貴重な映像です。

古い歌のメロディーに時事の事柄を描いた歌詞をつけて歌うのがトピカル・ソング。ディランも「風に吹かれて」でトピカル・ソングを歌うシンガーとして注目を浴びます。しかし、ディランはアルバム『時代は変わる』を発表し、ただのトピカル・ソングを書くシンガーではないことを証明します。

1963年12月に開催された緊急市民自由会議でディランは主催者側を強烈に皮肉るスピーチをすると、政治的な発言が注目されるようになり、ディランの書く歌はプロテスト・ソングだと認識されるようになります。こうして「若者の代弁者」としてディランは祭り上げられるようになります。

しかし、ディランは政治的な歌手としての立場を拒否するようになります。ジョーン・バエズとの関係も次第に距離が生じはじめます。1964年に発表された『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』は作風がより個人的なものへと変わります。

1965年になるとエレクトリック・サウンドを導入した「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」を発表します。ディランは「歌を表現するのにエレクトリック・サウンドは必要だった」と話しています。この曲が収録されたアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』が発表されるとイギリス・ツアーに出ます。このイギリス・ツアーの模様を収録したのがD.A.ペネベイガーの映画『ドント・ルック・バック』です。

イギリスではビートルズとの出会いがあり、お互い大いに刺激を受けます。直後、ディランは「ライク・ア・ローリングストーン」をレコーディングします。レコーディングに呼ばれたアル・クーパーが当時の模様を証言しています。

7月に開催されたニューポート・フォーク・フェスティバルに出演したディランは、夜の部でエレクトリック・セットのステージ・パフォーマンスを披露します。出演者は大体1時間の演奏時間が与えられているのに、ディランは僅か15分でステージを降りてしまいます。楽屋裏ではピート・シーガーが斧でケーブルをぶった切ろうとしていたり、時間が短すぎるとオーディエンスは騒ぎ出すわで、司会のピーター・ヤーロウは困ってしまいます。結局、ディランはジョニー・キッシュにアコースティック・ギターを借りて「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー」を歌います。

ちょうどその頃、バーズが「ミスター・タンブリン・マン」をフォーク・ロック・サウンドでリメイクすると大ヒットを記録します。しかしディランは「フォーク・ロックは嫌いだった」と回想しています。8月にはチャート2位を記録した「ライク・ア・ローリングストーン」が収録されたアルバム『追憶のハイウェイ61』を発表。ディランはポップスターになります。

バンドを連れてライヴ・ツアーに出るとディランはあちこちでブーイングを浴びるようになります。同時にちぐはぐな質問を繰り返すマスコミによる取材がディランのストレスになっていきます。

1966年には英欧ツアー。チケットは完売なのに会場はブーイングの嵐。イギリスのマスコミも「バンドを従えて歌いだすと観客はひとりもいなくなった」と嘘の報道。この時のことをディランは「休養することを考えはじめた」と話しています。

そして5月17日のマンチェスター公演で事件は起こります。エレクトリック・セットの途中で観客の一人が「ユダ(裏切り者)!」と叫びます。ディランは「嘘つき。オマエなんか信じない」と応酬します。そしてバンドのほうを振り返り「プレイ・イット・ファッキン・ラウド!(でかい音でいくぜ)」と叫んで「ライク・ア・ローリングストーン」を歌います。このシーンには震えてしまいます。大きな音で演奏される「ライク・ア・ローリングストーン」ですが、演奏シーンは現存していないのか観客席上空の照明が映し出された後、エピローグになります。

ツアー終了後の7月29日、ディランはウッドストックでバイク事故を起こし活動を停止します。1年ほど隠遁生活をした後、活動を再開しますが、ライヴ・ツアーをはじめるのは8年後の1974年になってからになります。
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■国内盤DVD『No Direction Home』のリリースが決定しました。発売予定日は6月23日です(2006年5月10日記)。

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