PBS(アメリカでも希少な公共放送局)で毎週日曜日に放映している「Finding Your Roots」という番組が大好きで、楽しみにしている。
毎回あるゲストを迎え、その人物のルーツを検証していくという内容なのだが、
その徹底したリサーチ力ももちろんのこと、「アメリカ人のルーツ」ということ自体がまずとても興味深い。
アメリカ人の祖先は所詮、よその国から来た人々。その彼らがどういういきさつでアメリカにたどり着き、どうやってその地に根を下ろしてきたのかを知ることによって、アメリカ全体の歴史を垣間見る気がするのだ。
白人の先祖はヨーロッパからの移民、そして黒人のルーツは大概の場合アフリカ奴隷にたどり着く。
先週のゲストは、その黒人奴隷をルーツにもつアフリカ系下院議員のジョン・ルイス(72)。
若き日にルーサー牧師と行動を共にし、「60年代公民権運動・ビッグ6の最後の生き残り」と呼ばれる人物だ。
1940年、南部アラバマ州の小作人の子として産まれ、文字通り差別の真っ只中で育った彼は、同州で55年に起こったあの“ローザ・パークス事件”(黒人女性ローザ・パークスがバスの白人専用座席に乗って逮捕された事件)を身近で体験。
バスのボイコット運動を指導したキング牧師の演説をラジオで聞いて、公民権運動に身を投じる決心をする。
61年には、バスの人種隔離座席を撤廃させるための「フリーダム・ライド」運動に参加し、その後も数々の“非暴力”公民権運動の先頭に立つ。
John Lewis (far right) with Dr. Martin Luther King, Jr. (center) leading a civil rights march in Alabama from Selma to Montgomery to protest restrictive voting rights for African Americans in 1965. (© Steve Schapiro/Corbis)
63年、20万人以上が参加して人種差別撤廃を訴えた「ワシントン大行進」の立案者の一人でもあり、キング牧師が行ったあの伝説の「I Have A Dream」演説に先立ち基調演説を行った23歳のルイス氏は「公民権運動が生んだ最も勇敢な人間の一人」と呼ばれている。
John Lewis, age 23, Chairman of the Student Non-Violent Coordinating Committee, speaks at the Lincoln Memorial during the historic March on Washington, August 28, 1963. (© Bettmann/CORBIS)
そしてついに64年、「公民権法」(Civil Rights Act)が制定され、法の上での人種差別は終わりを告げた。
それでも有権者登録に消極的であった黒人たちに、ルイス氏は「選挙こそが我々が持てる最高の武器である」と訴え、60代後半には黒人参政権運動を指導し400万人以上の黒人有権者登録を成し遂げた。
81年、アトランタ市議会議員。86年、ジョージア州下院議員に選出される。
In February 2010, President Barack Obama presented the Medal of Freedom, the nation's highest civilian honor, to Representative John Lewis of Georgia, a hero of the Civil Rights Movement. (AP Photo/Carolyn Kaster)
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このルイス氏のルーツを遡っていくと、彼の曽々祖父母(4代先祖)であるトビア&エリザベス・カーター夫妻にたどりついた。
彼らは言わずもがなの南部の黒人奴隷。1830年頃といえば、黒人奴隷には人権のかけらも与えられていない時代だ。
もちろん男女の関係はおろか家族を持つことも許されず、肉親であっても市場でバラバラに引き離されるのが常だった。
しかし、記録をたどっていくうちにこのカーター夫妻が硬い絆で結ばれていたことが判明する。
トビアとエリザベスの「婚姻届」が見つかったのだ。
その日付は、1865年12月16日。
これは、合衆国憲法修正第13条、いわゆる「公式に奴隷制を廃止し、奴隷制の禁止を継続することおよび制限のある例外(犯罪を犯した者)付きで、自発的ではない隷属を禁じた法」(adopted on December 6, 1865)が施行されてからわずか10日後のことだった。
つまり、ふたりは奴隷解放のこの瞬間を待ちわびたかのように、そのわずか10日後に晴れて法の下に人間として「夫婦」となったのである。
このときのふたりの推定年齢は、45歳だった。
さらに驚くことに、その後ふたりは1869年に$400で土地を購入していたという記録が残っていた。
奴隷解放後たった4年後に、どうやって当時としては大金の$400を蓄えていたのか?
1870年頃には、解放された奴隷たちが財産を持ち始めたことがあらゆる資料で明らかになっているが、これは、奴隷たちの主人が彼らの働きにこたえて資産の一部を与えたことが始まりだろうと言われている。
記録によると、カーター夫妻の雇用主は白人のジョー・カーターという人物であることが判明。幸運にもそのジョーの孫娘が一家の歴史を記した詳細な日記を残していた。
その日記には、当時としては極めて珍しいことにトビアとエリザベスという二人の奴隷の名がしっかりと刻まれていた。
「・・・(祖父のジョー・カーターは)今まで忠義を尽くして働いてくれたトビアとエリザベスの働きに報いるために、土地と建物の一部を譲った」(日記より)
夫婦の固い絆と主人への忠実な働きぶりがうかがえる。
ふたりはその後も5回にわたって、財産の売買をしていた。懸命に働き、財を築き次代へとつなげていこうという気迫が見て取れる。
そしてさらに驚愕の事実が明らかになる。
1867年、つまり奴隷解放2年後に、トビアはアトランタ州で黒人としては2番目の参政権登録をしていたのだ。
黒人参政権がいまのように保障されるようになったのは、それから100年以上後のこと。キング牧師やルイス氏などによる公民権運動を経て1964年に公民権法が成立してからである。
トビアはいつか政治に参加できるその日を夢見つつ、参政権登録へと先頭を走った人物だった。
その4代後の子孫が、その偉業を成し遂げるとは知らずに・・・。
これらの記録を目の前にしたルイス氏は、静かに涙をぬぐった。
「私の中には彼らの血や魂が宿っているのですね」
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では、アメリカで黒人の地位は確立されたのか?
答えは残念ながら「NO」である。
つい先日、フロリダで17歳の黒人少年が帰宅途中に射殺された。撃った犯人は何の罪に問われずその場で放免され、その対応を巡って全米で大きなデモが起こっている。
悲しいかな、このような事件は毎日どこかでおこっている。
共和党の大統領候補は、堂々と自分がレイシスト(白人至上主義)であることを宣伝文句にしているような人間だ。
本当に腹が立つ。
これに関しては次回につづく・・・。
※なお、「Finding Your Roots」はオンラインでも見ることができます。是非ご覧ください。
http://www.pbs.org/wnet/finding-your-roots/
→「なんの罪に"も"問われず」