けさのTVで「鍋の素」の話が取り上げられていた。日本中冬将軍に攻め込まれて、津々浦々今晩は「お鍋」のお宅がさぞかし多いことだろう。
「鍋の素」は随分多くの品数があるらしく、組み合わせて好きな味を作り上げられることが好評らしい。そんな話の中で「鍋奉行」という言葉が出てきた。
去年の事、当ブログが原因のお騒がせ事件が起きた。細川藩に「鍋奉行」という役職があるということが巷間うわさが広がってのことだ。
https://togetter.com/li/1315307
これはえらいことになったと思い、お詫びの文章をUpしたことを思い出し調べてみると、去年の2月5日のことであった。
掲載されていた侍帳の原本が熊本大学で確認が行われ、「鍋」の文字は「浦」であることが判明し落着した。
今思い出しても冷や汗もので、影響の大きさを実感し大いに反省をした所であった。
これは1977年発行の細川藩政史研究会発行の「肥後細川藩侍帳」全四冊の内の「一」にある「妙解院忠利公御代於豊前小倉 御侍帳幷軽輩末々共ニ」に掲載あるものである。(p7・中段)
その後この四冊は、改訂されて「熊本藩侍帳集成」として1996年に発刊された。ここではこの部分は「浦奉行」と改められている(p9)。誤植であろうと思われる。
当方の「新肥後細川藩侍帳」が、1977年の「肥後細川藩侍帳」を底本としたことによる誤りである。
改めてお詫び申し上げる。