現在五月の熊本史談会の折に配布された資料「大矢野家文書」の内、天正十八年に「木山紹宅書之」の署名がある文書を読んでいる。
天正十七年八月小西行長は新たに得た領地宇土に城を構えるべく、大矢野氏を含む天草五人衆にその費用の負担を申付けている。
すでに領地安堵のお墨付きを請けていた五人衆は、「不受」の意を伝えたため行長は秀吉に報告、秀吉は一転「左様ニ六ヶ敷好(奴)原可刎頭」と命じ、志岐城の志岐鱗泉を攻めることに成る。これらの事が詳細に書かれており、いままで余りなじみなかった小西の家臣の名前が登場したりして、完読はできないまでもわくわくさせられている。佐々成政没落後の水野六左衛門(勝成)の活躍や、加藤清正の勢の働きなど興味深い。
全18頁難行苦行である。
八代未来の森ミュージアムの鳥津亮二氏の著「小西行長 抹殺されたキリシタン大名の実像 資料で読む戦国史」を併せてよみながら、小西行長が少し身近になったことを感じている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます