昨日付けの熊本日々新聞に、二面に渡り「熊本城復興支援キャンペーン第四弾」として「古城地区に残る最古の石垣の魅力」という特集記事が掲載された。
その中で興味深いのは熊本城研究センターが2021年度の成果として発表した、この古城地区の地図だ。
古城は現在の熊本第一高校の校地と考えてよいが、左の図によると、校地のグランド部分は往時は白川の大蛇行に飲み込まれていたことが判る。
これは校地の川よりの端の地盤調査から、厚さ数メートルに及ぶ版築の跡が確認されたことから推測されていた。
しかし、鹿子木氏から城氏、佐々氏、そして加藤清正の半国時代のお城・隈本城の範囲や、各郭の名称が表示されており大変興味深い。
「のこる丸」は他の郭には「〇〇丸」と名がついているが、ここは名前が付けられずにあったからその名の由来であるという。(熊本城天守閣常設展示図録p19)
これらの名称の出典を知りたいと思う。
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