お尋ねを頂いたので「小豆坂と俺栴檀橋」の書き込みがある絵図をご紹介する。
棒庵坂を下った突き当り位のところから、折り返して坂がある。
内坪井の武家屋敷(現在の登園中学のプール)辺りへ下っているが、高低差が7~8mあるので急こう配であったろう。
下りきったところに流れているのが坪井川、これに掛かっていたのが折栴檀橋である。
内坪井は広大な範囲があるが、現在は広町筋から上熊本に至る幹線道路に分断された。
大事なお侍さんの登城口であった。冠木門のようなものが見受けられ、番小屋らしいものも伺える。
小さな川の流れがあったと伝えられるが、下方に描かれているのがそうであろう。
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やっぱり小豆坂は斜面を斜めに降りていたんですね。
藩士の登城口だったということは舟通勤のお侍さんもいたんでしょうね。
絵図の下の方の玉川は開削する前から自然の流れがあったのでしょうか。