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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「寿賀廼舎日記抄」をたどる(7)

2025-05-13 06:32:02 | 展覧会

(弘化二年)三月十一日「興行物の賑い」

 切踊相始まり候。嶽村の春駒芸者惣八座、上御茶屋中津裏にて興行。十六日より軽業社内にて始まる。廿四日より軽業跡にて糸山座を雇ひ切踊興業、然る処御済達に相成り申さず候処二十八日夕御済達に相成候得共日数之れ無く相止め申し候。
大江山の作り物、丸井川の上より道作り、御殿裏山一ぱい筵にて岩組の窟を作り、凡そ藁筵七百枚余、木綿にて滝二つ作り候。岩屋には頼光神酒盛致す処を作る。日々参詣夥しき事に候。
 見世物、切踊二つ、軽業一つ、孔雀、金鶏、餅売人形凡そ六つ、三月二十九日までに踊り見世物共に興業仕舞候。
 籠屋にて神酒小屋を設け申し候、西伊勢屋角左衛門、麻生田屋平衛門、門屋甚五郎、蛭屋源助受けにて鳥居の側に造花懸小屋懸け申し、
 岡田次衛門世話致し候。

 西嶽に馬小屋を設けて馬追、十八日、二十五日、二十九日に興行。
 三月朔日より熊本立町熊次郎と申す作者外に二人雇入れし大江山人形作りは同十六日に帰り申し候。

            大江山福寿酒盛
                    歌川国芳 作「大江山福寿酒盛」

 三月十一日の記事だが、内容は十六日以降の催しなどが書き込まれていて二月の記事かと思わせるが、最後の行を見ると「三月朔日に雇った人物が十六日に帰った」とあるから三月の記録に間違いないようだ。
頭書に十一日との書き込みが間違いなのか、十一日からだらだらと書き加えたものか判断に苦しむ。
それにつけても大賑わいである。

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