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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■長六橋

2014-09-24 18:27:32 | 熊本

 昔の長六橋      

        明治初期の長六橋              昭和2年に完成したトラスタイドアーチ橋          平成2年完成の現在の橋


 江戸時代熊本市内を貫流する白川には、この長六橋が唯一という時代が長く続いた。安政年間安政(安巳)橋が架けられた。
長六橋は慶長六年加藤清正によって架けられたので、その年号から名前が付けられたとされている。もっとも明治初期の写真のような橋ではなかったと考えられ、資料には梅雨時には解体する仮設橋であったらしい。橋が度々流され舟橋であったという記録もみられる。
白川の大洪水は、慶安9年(1650)、寛政8年(1796)の大洪水は最大級のものであったとされ、そのほか元禄9年(1696)・元文元年(1736)・文化13年(1816)にも死者が出る水害となっている。以下にあげる文章は寛永17年(1640)に書かれた奉行日録の抜き書きである。

 

 

                          

 

                               寛永十七年八月五日
                            一、長六はしわたし舟ニてハ御不自由ニ候間舩はしかけ候事ハ
                              成間敷やと小内膳(仲光氏)を以被仰出候事
                                      御請ニ舟はしノ儀手間入申間敷由申上候事

                               同七日
                            一、長六橋之渡り舟はし之儀小内膳を以得御意候へ共明日
                               早々より舟はしかけさせ候へと被仰出候事

                               同九日
                            一、長六橋いつも今時分かけ夏ニなり候へははしをとり申し候来
                               年ははかれ次第に其まゝ置候て見候へと可申付由御意ニ候
                               其まゝ置申ニ付いつもより造作まし分ハ此方ゟ加勢仕候
                               様ニと被仰出候由奉り 奥田権左衛門 

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 参考  山口県防府市 宮市舟橋 佐波川  片頭船6艘、橋脚ナシ、手摺りアリ  寛保2年(1742)架設、大正7年流失。昭和16年撤去とも。


                                         

 

 

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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舟橋 (柴田)
2014-09-24 21:01:48
防府の宮市舟橋ですが、これが流れて新しい橋が架けられたので、ここら辺を新橋というんですね。防府から山口に行く時、よくここを渡ったものです。
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Unknown (津々堂)
2014-09-25 18:37:34
舟橋についての写真記録は結構残っているようですが、舟の姿が鮮明なのはこの写真が一番のようでしたので使わせていただきました。現地を御存知なのですね。
返信する

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