津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■資料を片付ける

2022-08-22 17:19:44 | 先祖附

 土曜日の史談会での講演を終わり、その晩から日曜にかけてどっと疲れが出てしまった。
80爺様が立ちっぱなしでマイクなしで1時間45分の長丁場で、おまけに1年半ぶりのことだから、予想せぬではなかったが、それにしても草臥れた。
日曜日はさすがに朝散歩もお休み、今日は3.3㌔を45分というスローペースであるいたが、暑さもあってグロッキー気味。
それでも今日は、一ㇳ月ばかりのこのための勉強に引っ張り出して積みあがった本や資料の小山を本棚の元の位置に戻した。
ブログの方もしばらくは「善蔵さん」から離れようと思っている。

「大日本近世資料・細川家史料」などを取り出して、最晩年の忠利の行動を詳細に眺めてみようと思っている。
「家紋」のほうもしばらくお休みしたので再開を予定しているが、随分古文書の方も離れているので図書館へ出かけて古文書史料の面白そうなものを発見したいと思っている。
明日は図書館はお休み、明後日は本も返さなければならないからその予定、あまり暑く成りませんように・・・

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■埋め立てられた熊本城の堀

2022-08-22 06:32:08 | 徒然

 土曜日の熊本史談会が終わった後、ビジターの若い方が声を掛けてこられ、昭和28年の水害で埋めたてられた空堀の元の状態を知る古い写真を知らないかとのお尋ねを受けた。
そういわれると、28年以前の状態は良くしらない。お尋ねは某教授の論考にこの石垣になにやら施設があったらしいと仰る。(それが何かはよく判らない)
当事者の某教授にお尋ねしたら「ある史料にそうあったから書いただけ」との回答だったそうだ。(????・・)
こうなると、こちらも気に成ってくる。
そもそもどこにどれだけの高さの水害廃土を盛り土したのだろうか。
過日の報道では宇土櫓石垣下を調査試掘されたら、石垣が2m新たに顔を出したとあった。そんなものなのだろうか。
去年は薬研堀に水がたまって水堀になったという報道があった。
ここも水害廃土で埋め立てられているが、ここも2mくらいのものか?。その下には往時の排水施設などがあったのではないかと思われる。
場所はある程度特定できるが、その高さがどの程度なのかさえよく判らない。
お尋ね頂いた方の疑問は、熊本城が文化財施設であるため簡単に掘り返すことが出来ないから、将来共に疑問のままに終るのかもしれない。

 かって、古城のまわりにあった水堀・空堀は完全に埋め立てられ現在では古城公園に生まれ変わっている。
地元では、元に戻したいという思いがお有りのようだ。

コメント (3)
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