津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■THE END OF THE WORLD

2021-12-04 12:46:28 | 徒然

 朝から体調が良さそうなので6時半過ぎに起床。土日は奥方の起床は遅いのでコーヒーを沸かして時間を過ごす。
朝食を済ませたあと奥方が洗濯を始めた。「靴下がないよ。昨日ははいてないの。」
「なけりゃはいてなかったんだろう」と答えると、「風邪ひいてるくせに・・・」とぶつぶつ言いながら首をかしげている。
今朝も靴下をはいていないのを目ざとく見つけられ、「さっさとはきなさいよ」とお目玉をくってしまった。

 雲間から時折除く太陽もいかにも冬のものらしく元気がないが、ときおりベランダの窓越しにその恵みをもたらしてくれる。
子供たちが小さい頃、日曜日の朝になると必ずと言っていいほどターンテーブルにレコード盤をのせ何かしら音楽を聴いたものだ。
そんなシーンを思い出す。
特にカーペンターズのそれぞれの曲は、子供たちが英語を覚えるのには発音が明瞭でよいのではないかと思って掛けたものだが、その効果のほどは期待すべきものではなかった。
但し子供は三人とも、すっかり音楽好きになり二人の男の子はドラムを叩き、娘はクラリネットを吹くようになった。
娘のところの孫娘もクラリネットやトランペットをこなしている。
私はと言えば、ただそれがうらやましく横目で眺めるばかりで・・何もできない。
ただ、時折カラオケなどでマイクを握り、引っかかりながら THE END OF THE WORLD なんぞを歌ったのも楽しい思い出である。
最近YouTubeで「花」で有名な石嶺聡子さんのこの歌を聴き、懐かしく思って併せて口ずさんでみたが、肺活量がなくとてもついていけない。
(ちなみに今日は全く声が出ない)
おまけに暗記していた歌詞もうろ覚えである。久しぶりにレコード盤から歌詞を写し出したりしてみた。
ちなみに、ご紹介したいのはやまやまだが歌詞の紹介は著作権に抵触するらしいから、出だしだけでやめにしておく。

   Why does the sun go on shining?
   Why does the sea rush to shore?
   Don't they know it's the end of the world
   Cause you don't love me anymore

       Why do the birds go on singing?
       Why do the stars glow above?
       Don't they know it's the end of the world
       It ended when I lost your love

もうカラオケで歌う機会もなかろうが、機会があればこの曲を歌ってみたいと思う。精々一番くらいしか歌えないのだろけれど・・

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■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 選評(四)

2021-12-04 09:34:20 | 書籍・読書

      「歌仙幽齋」 選評(四)

 月こよひ音羽の山の音にきく姥捨山の影も及ばじ

 秋部「八月十五日夜關白殿大佛殿のうしろの亭にて月を翫び、それより聚楽亭に歸ら    
せ給うて和歌會侍りしに」。輝元公上洛日記によつて、これは天正十六年中秋の夜と
いふことがわかる。幽齋五十五歳。關白殿、むろん豊臣秀吉大佛殿のうしろの亭、利
休年譜によれば、天正十四年九月方廣寺大佛殿敷地内に數寄屋を設けんとして、利休
より造營奉行朝の長吉に依頼せしことあり。これ利休が作りし最後の茶室なる由、大
佛殿、古の六波羅殿の址に天正十四年秀吉の創建した方廣寺のこと。前記上洛日記に
「御公家衆大名衆も一種一瓶にて可有御參の御内意にて、各大佛へ御參上候。殿様
輝元のこと も五條河原邊迄御出候處に俄に天曇時雨湎に付て、山野の月御覽候事難成と
て、關白様聚楽へ下被成還御候」云々とあれば、月見の會は大佛にてと決められてゐ
たのを、驟雨のため聚楽第にと模様がへになつたもの乎。それにしても幽齋の歌は、
恰も東山の大佛にて觀月したものの如く詠まれてある。初句の「月こよひ」にて小休
止し、さて「音羽の山の」云々と續く。十五夜の月輪は清水のうしろの音羽山から昇
つたので、第二句にその山を出し、さうしてそれを第三句「音にきく」への序とした
のは、近風の好みである。その音に聞き、天下一の月見の名所と昔から歌はれた信州
姥捨山の月光といへども、此處東山の秋夜には及ぶまじと讃へたのは、關白秀吉への
賀の意も含めてゐる。「月こよひ」といふ如き歌言葉は、古典には無かつた。幽齋も
とより連歌を試み發句も作つたので、その方の言葉使ひが和歌にも利用されたと愚考
する。この一首、戰國時代から始まつた和歌と發句との關係の一端を示すのである。

 西の海やその舟よそひとくせなむ秋くれゆかば浪の寒きに

 雑部。次朝鮮國正使松堂老人來詩二篇韻旨國風一和合と題し、詩二篇に對し、
和歌二首を以つて唱和した。右はその一首。五山の詩僧にあらざる幽齋、「國風」を
示して返事としたのは善哉。松堂の唯愁歸路三千海、遠客風帆阻歳寒と併せ讀めば、
歌意は明らかになる。「西の海や」云々、國使一行は、九州北邊の港から歸航するの
であらう。その艤装を急ぎ給へ、三千海三萬頃の波濤は春秋初冬、やうやく荒く寒く
なつてゆく。老齢の國使に同情したのである。時はいつか。天正十八年秋、黄允吉の
一行來朝の時かと、一應推測するけれども、當時彼國の使節の往來しばしばなりし
故、しかとは決め難し。「ふなよそひ」といふ佳い言葉は、既に萬葉集の歌の中に用
ゐられてゐる。

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■「日本持丸長者鑑」天保11年 1枚|長者番付

2021-12-04 07:22:44 | オークション

            「日本持丸長者鑑」天保11年 1枚|長者番付

「持丸」という言葉を御存知だろうか?親指と人差し指で〇を作ると・・まさにお金、金満家の事をいう。
その持丸の下に長者とあるから、ものすごいお金持ちだ。向かって右側には「大関・鴻池」をはじめとして数件の鴻池がみえる。左側には「大関・三井」「関脇・住友」などが並んでいる。
時は天保11年とあるが、さて熊本はどうだろうか、一番下の欄に小さな字ででもあるといいなと思いながら良く眺めてみると、意外にも最上段左手、15番目に「ヒゴ・土井忠左衛門」とあった。前頭十枚目である。
処がこの人物に就いては、現況全く情報を持たない。いわゆる豪農と言われる人でも、熊本はたかが知れているだろうし、何者だろうか。金貸か貿易商人かなにかだろうと勝手に思い込んでいる。
別にも添付してある写真を見ると、左側の最下段の右から3番目には「ヒゴ・長峯清太郎」とある。
また同じく左側最下段の左から6番目には「ヒゴ・木村篤■■」もある。この二人に就いても名前を知らない。
どなたか御存知であればご教示賜りたい。

 肥後を訪れた旅行家のいろんな日記を読んでも、肥後の百姓はいかにも貧しく白壁土蔵の一つも見えないと書いている。
一部の有力百姓が、立ち行かなくなった百姓の畑を取得しながら所有田地を広げ、大勢の小作人を雇い、一方では質屋を商い金貸しを仕、酒屋を営なむなど百姓の範疇を離れ富の蓄積をした。
肥後で著名な豪農と言われる人たちがこのような番付をつくればどのような位置を占めていたのだろうか。
上の番付をルーペで眺めながら、またこれらの疑問を解きたいと面白そうな本はないかと物色している。

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