大したものを持っていた訳ではないが、コーヒー一杯飲むにしても愛用していたカップが地震で割れてなくなったことに気が付き、少々淋しい思いをしている。
飾り棚が倒れてあらかたの物が壊れた。だからといってデパートあたりに出かけ購入しようという気は一切ない。
韓国を旅行した時、人間国宝的陶工が作られたという青磁の「水差し」を購入した。蓋の縁に小さな傷があってそれをいいことに値切り倒したのも楽しい思い出だった。
奥方には冗談で「骨壺」に使ってくれと話したことが有る。
水指しの使い道
いろんなものを失い、一緒に思い出も全て失って終った。いささかの未練もあるがどうしようもないことである。
散歩の道筋にあるお宅の玄関前には、どっしりした「うずくまる」型の焼き物にいつも真新しい草花が生けられていて心が洗われる。
ある時、玄関が開いて真っ赤なムームー姿の初老の女性が出てこられて驚いたが、その後も一二度お目にかかり朝の挨拶を交わしたりした。
ふと我が家に有った「うずくまる」の花瓶も割れてしまったことを思い出した。
最近あるサイトから誘導されて、ある焼き物の紹介サイトに出くわした。
萩焼風の地肌の裾には印花文が刻されていて、首廻りにはどろっと白い釉薬がかけられている。
物は「徳利」である。姿が気に入り花瓶にしようと購入手続きをとった。散歩の行きかえりに見かける野の花草を生けてみようとの魂胆だ。
奥方に言わせると、最近の私は大いに「爺」の領域に入ったそうだ。
メダカの飼育と、植物の水やりと、散歩の途中の草花の採取である。「爺」大いに結構・・・