津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■宇土市史研究の各本

2018-03-13 17:51:56 | 史料

宇土市史研究の各本

書名内容価格
宇土市史研究創刊号 宇土市松山町南山内出土の箱式石棺・如来寺仏像の胎内銘について・三宮社祭禮御幸記録・忘れられた宇土の近世瓦・寛政の津波・松花堂 光永眠鶴八十二年の生涯(一)・屯田兵と宇土・宇土の巡礼札所・郵便局のあゆみ(一)・宇土市納税貯蓄組合今昔・宇土の地名(B5判 本文74頁 図版4頁) 絶版
宇土市史研究第二号 宇土市松山町畑中遺跡出土の甕棺・肥後南部の石棺資料(一)_・向野田古墳出土の絹製品について・如来寺仏像胎内からでた絹製品について・善導寺の歴史と地理・八代日記と宇土・板碑ノート・宇土における小西行長・宇土の文学碑・松花堂 光永眠鶴八十二年の生涯(二)・宇土市農業の歩み・宇土市上水道建設小史・宇土の方言・他(B5判 本文90頁 図版13頁) 絶版
宇土市史研究第三号 古墳発顕記録(抄)・城二号墳人骨について・肥後南部の石棺史料(二)・古保里荘・小西行長ゆかりの神社,仏閣と供養塔・御供寺・栗崎南蛮流外科始祖 栗崎道喜少年・松花堂 光永眠鶴八十二年の生涯(三)・肥陽国中三十三所従當山巡道略縁記篇額について・太田黒克彦さんのこと・宇土の方言 続稿・石瀬天満宮修復の記・図書館と宇土・宇土市立図書館郷土資料目録・他(B5判 本文106頁 図版1頁) 740
宇土市史研究第四号 桂源遺事・轟の歴史と地理・宇土半島基部の弥生資料(一)・肥後南部の石棺資料(三)・宇土地名考・網田金石誌(一)・海外文献に現れたる 肥後の地名・海外文献に現れたる肥後の地名に就きて・松花堂 光永眠鶴八十二年の生涯(四)・宇土の薩摩街道・篠原温亭・明治大正見たまゝ聞いたまゝ・宇土人著述目録・他(B5判 本文114頁 図版3頁) 840
宇土市史研究第五号 石瀬漫録 抄(一)・向野田前方後円墳の人骨・考古ノート・網田金石誌(二)・宇土支藩殉死覚書・宇土郡の地名・宇土の地名を考える・他(B5判 本文104頁 図版6頁) 840
宇土市史研究第六号 考古ノート・郷荘と地名・島原の乱における郡浦村,江部村の一件について(その一)・泰雲寺界隈・網田金石誌(三)・鶴見塚伝説ノート・宇土ゆかりの人々(上)・他(B5判 本文80頁 図版7頁) 1050
宇土市史研究第七号 石瀬漫録 抄(二)・島原の乱における群浦村・江部村の一件について(その二)・宇土細川藩家中先祖書 抄録・網田金石誌(補)・上古閑村願解踊の記録(一)・宇土ゆかりの人々(下)・宇城地方考古学関係文献目録・他(B5判 本文91頁 図版1頁) 1260
宇土市史研究第八号 石瀬漫録 抄(三)・西安寺,松原・宗福寺,椿原の歴史・島原の乱における郡浦村,江部村の一件について(その三)・細川立允様御人数立記録・カタリナ永俊と行長のこと・他(B5判 本文61頁 図版3頁) 840
宇土市史研究第九号(船場川特集) 逆流水灌漑と船場川・船場川今昔・宇土における近世水運・江戸後期宇土町近在の世相断面・遠賀川式土器の回想・たはれ島小考・綿考輯録并藩譜採要 抄・他(B5判 本文129頁 図版3頁) 1050
宇土市史研究第十号 宇土における銀行の歴史・立孝公行孝公有孝公御三代記付宗中覚書・宇土郡桂源山中蕉夢庵造作明細書(B5判 本文70頁 図版1頁) 530
宇土市史研究第十一号 内藤如安・砥用紀行・八代紀行・網田焼考・御高札之寫・江戸後期宇土町近在の世相断面(続)・雨乞太鼓・織田信敬聞き書・明治大正見聞雑記・宇土の口碑・木原山と宇土山,鬼の石投げ・宮庄・火玉・御輿来(B5判 本文91頁) 1050
宇土市史研究第十二号 南条元宅とその一族・検証・天草四郎・宇土と三業惑乱・嘉悦家と宇土・江戸後期宇土町近在の世相断面(続二)・興文公記録・御家中書札式壹帳写・代々記録(B5判 本文124頁) 1050
宇土市史研究第十三号 宇土と道路交通の事情・宇土半島のスキを訪ねて・宗方光と幼稚園・気象等の諺・両肥大変録・宇土市長浜町 寛政津波供養塔銘・明和八年,慶応元年宇土藩陣備図(B5判 本文60頁) 840
宇土市史研究第十四号 肥後の地方制度の歴史・小西行長,文禄慶長の役関係日表・立岡大堤養水手鑑・毛利高範(細川侃次郎)略伝・明治期の宇土市旧町村の動き(一)・宇土地方の砂糖製造・宇土半島の黒砂糖沿革(B5判 本文118頁) 1050
宇土市史研究第十五号 南大門碑に現れたる浄水寺の寺領・天草四郎関係入牢者の記録・宇土細川家藩祖立孝と稲富流砲術・私立鶴城学館・明治期の宇土市旧町村の動き(二)・宝暦十二年宇土郡松山手永佐野村田畑下ケ名寄御帳・宝暦十三年宇土郡松山手永立岡村田畑ケ名寄御帳・宇土文書(一)(B5判 本文92頁 図版1頁) 1050
宇土市史研究第十六号 古代宇土の地名・宇土細川支藩成立の前後・片影 細川興文公・明治期の宇土市旧町村の動き(二続)・明治期の宇土市旧町村の動き(三)(B5判 本文86頁) 1050
宇土市史研究第十七号 宇土細川支藩初期の家臣の動向・人名 その由来と読み方―特に不知火諾右衛門に就て―・明治期の宇土市旧町村の動き(四)・虫追い行事「じんだらじん」・宇土細川家侍帳(慶安五年)・宇土細川家侍帳(天明六年)・海面岩石保管願・道中記・椿原古墳発掘調査概報・天神山古墳測量調査報告(B5判 本文110頁) 1050
宇土市史研究第十八号 明治期の宇土市旧町村の動き(五)・御定書御帳写(B5判 本文84頁) 1050
宇土市史研究第十九号 松山両神宮社司,中林家文書について,斜日堂 一竿人の伝・明治期の宇土市旧町村の動き(六)・史料 御家中役高手取等被仰出之覚帳二冊・史料 覚(町村石高)(B5判 本文76頁) 1050
宇土市史研究第二十号 細川行孝と轟泉水道・明治期の宇土市旧町村の動き(七)・明治期の宇土市旧町村の動き(八)・一九三〇年代後半の宇土エスペラント会の人々・宇土細川家史料にみる「上方抱下し者」(B5判 本文128頁) 1050
宇土市史研究第二十一号 肥後藩主細川斉茲誕生の前後・細川藩御用窯 網田焼開窯期の新発見―陶師と絵師の判明―・明治期の宇土市旧町村の動き(九)・明治期の宇土市旧町村の動き(十)・観天望気,漁師の天気予測(B5判 本文122頁) 1050
宇土市史研究第二十二号 肥後宇土牧山と惣囲塘・石井家の駒と撥(B5判 本文53頁) 740
宇土市史研究第二十三号 神ノ木山古墳出土須恵器・神ノ木山古墳出土須恵器の蛍光X(エックス)線分析・宇土支藩における往来手形・宇土細川支藩と参勤交代(B5判 本文120頁) 1050
宇土市史研究第二十四号 細川三吟・天保九年宇土藩下向道中日記・御在邑年惣計見直御積帳・御参勤年惣斗見亘御積帳(B5判 本文53頁) 740
宇土市史研究第二十五号 (松山手永・郡浦手永 手鑑集)宇土支藩手鑑・元禄十五年松山手永御手鑑・元禄十五年郡浦手永御手鑑・天保八年郡浦手永略御手鑑・嘉永三年手鑑・明治二年松山手永手鑑(B5判 本文132頁) 1050
宇土市史研究第二十六号 (小西行長基礎資料集)天正九年から慶長五年までの小西行長に関係する史料を収録。(B5判 本文167頁 史料目録17頁) 1200
宇土市史研究 第27号(新聞に見る宇土のあゆみ) 明治一〇年九月四日から平成一七年三月一七日までの宇土市に関連する新聞史料を収録。(B5判 本文305頁) 1400
新宇土市史基礎資料集第五集 山田文庫(一) 宇土細川家史料を抄録。(B5判 本文306頁 図版2頁) 2000
新宇土市史基礎資料集第七集  山田文庫(二)B5判 本文292頁 図版3頁 2000
新宇土市史基礎資料集第八集宇土市の金石文 宇土市内の石造物・宇土半島基部における中世板碑の形態的特徴と造立意図について・泰雲寺跡宇土細川氏墓地での墓制形態の変遷について・宇土市金石文調査一覧表(B5判 本文258頁) 1500
新宇土市史基礎資料集第九集 考古 西岡台遺跡・石ノ瀬遺跡・上松山遺跡(A4判 本文122頁) 絶版
新宇土市史基礎資料集第十集宇土の自然 宇土市の気象特性・宇土市沿岸の有明海および緑川などの河口部に生息する生物目録・植物目録・陸生哺乳類目録・鳥類目録・爬虫,両生類目録・昆虫目録・陸産,淡水産貝類目録・水生生物目録(B5判 本文213頁) 2000
宇土市史研究 第28号(宇土市の美術工芸) 宇土市内の仏神像を中心とした美術工芸品のデータを写真付きで収録。(B5判 本文83頁,調査一覧表13頁) 800
宇土市史研究第29号 薩摩街道周辺の歴史の足跡をたどる・佐方一竿人の反古籠・弘化四年宇土藩参勤道中日記・宇土の史蹟・所謂「言仁帝陵説」に就て・緑川改修(内務省堰)工事新聞記事(B5判 本文108頁) 1000
宇土市史研究第30号 日本思想史学会の大樹 源了圓先生の足跡(私の幼少の頃と宇土の憶い出,私の歩んで来た道,「私の歩んで来た道」以後,市制施行50周年へのメッセージ,略年譜,著書・論文リスト),四考墳集,金谷宿に残る宇土藩の足跡-本陣佐塚屋休泊控帳より-(B5判,本文74頁) 850
うと学研究第31号 宇土もしくは宇土人とは,宇土半島基部の線刻を有する古墳,笹原厳島神社の調査,緑川の一考察-近世期以降の緑川水系河川の土木工事を考える-,「天保六年宇土藩参勤道中日記」,入日影 乾・坤-佐方一竿人の三回忌追善句集(A4判,112頁) 900
うと学研究第32号 轟貝塚慶応大学調査出土石器(補遺),天草四郎のこと,宇土細川家勅使御馳走役,既刊案内,「宇土文書」目録(その1)(A4判,68頁) 700
うと学研究第33号 キリシタン大名・小西行長とその時代,武士の俸禄と宇土藩の石高,記録から学ぶ「寛政の大津波」,桂源遺稿(上),既刊案内,「宇土文書」目録(その2)(A4判,68頁) 900
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■寛永より寶暦迄・郡中法令(17)

2018-03-13 07:10:06 | 史料

三三四
   覺
一町在之者え御免之揚酒本手之儀、先祖之譯幷家職を申
 立、或ハ前廉上ヶ米銀之證文等差上候て相願候者へ、夫
 々被成御免置候、右本手は都て一代限ニて、子孫又ハ他
 へ譲渡候儀決て難相成事候處、いつとなく及混亂、御免
 之主よりハ二代・三代と受持、其上他ニも譲受置候様子
 相見候、依之右之通之譲本手ハ此節不残上り本手ニ相成
 申筈ニ候得共、左候てハ差寄商賣仕掛り之者行當可及迷
 惑と、今度左之通申付候
一右揚酒本手十ヶ年以上譲受居候分ハ、當子年より來ル辰
 年迄五ヶ年限、直ニ拝借申付候事
一右同三ヶ年以上譲受居候分ハ、當子年より來午年迄七ヶ
 年限、拝借申付候事
 右之通候條、拝借年數之内ハ、他へ借渡商賣いたし候共
 勝手次第之事
一揚酒本手被成御免、當時存命ニて居候者之事
一親代ニ御免之揚酒本手、子孫之者依願引継被成御免置候
 物之事
 右之分ハ自身商賣は勿論、年數を限、他へ借渡候共勝手
 次第ニ候、尤其身果候歟、又ハ何とそ様子も有之節ハ、
 上り本手ニ相成候條、其節々不洩様可被相達候事
一宿町零落之申立ニて被成御免置候揚酒本手、其所ニて借
 渡、其借賃を以町並之助力相成候事候得は、他へ譲渡可
 申様ハ無之儀ニ候得共、彌以紛敷無之様可被相心得候事
  但年數を限、御免被成置候分ハ、年限相濟候ハヽ早速
  上り本手之書付可差出候
一惣て揚酒本手御免之者共、本手之印無之候ニ付、今度相
 改本手之印鑑相渡申筈候條、本手御免之者共何年何月奉
 願、揚酒本手何本被成御免候、又ハ何町何某へ御免之本
 手を何年何月何町何某譲受居候趣、銘々より之書附取揃
 指出嘉申候、根帳引合候上、印鑑可相渡候事
  但、親代ニ御免之本手、子孫ニ至不相願、直ニ受持居
  候分共右同断
 右之趣可被相心得候、尤向後揚酒本手御免之者共ハ、其
 身一代限ニて、譲渡ハ決て難叶候條、其旨相心得居可申
 事
   寶暦六年子八月

三三五
   覺
一一両一疋・地侍引継願出候節、吟味之上様子次第如願引
 らひ候者も有之候様子相聞候、在中之儀従前々成丈雑戸
 無之様被仰付置候處、右之趣之儀ニて、大小之御家人屋
 敷相成居候所柄も有之事ニ候、向後右之類別居仕せ被申
 間敷候、若無據筋ニて致別居候ハヽ、致隠居候者之住居
 ハ百姓竈ニ致替、尤高主を極、五人組相極置可被申候事
一一両一疋・地侍之内より御惣庄屋被仰付世忰有之候者共
 ハ、間ニハ父跡之一両一疋・地侍ニ被仰付事候處、右之
 御惣庄屋退役已後、筋ニより一両一疋被仰付事ニ候、左
 候ハヽ父子共一両一疋又ハ地侍にて罷在候事故、遂日右
 父之諸式は引継不被仰付筈候間、此旨を被存、引継願出
 候節吟味有之、可被相達候事
一一両一疋・地侍之内、勝手宜百姓ニ御家人之名跡を賣
 渡、表向世忰と稱し引継願出候者も有之様子ニ相聞候、
 名字・刀を御免被成置候者ニは有間敷致方、不埒之至ニ
 候、向後右躰之儀決て無之様急度可申付候、男子無之候
 ハヽ、相應ニ御家人之子孫を養子嘉致候、血縁ニより致
 養子候ハヽ、農民たり共孫又ハ弟ニて候ハヽ勝手次第之
 事ニ候、夫共ニ跡高主ニ可相立相應之者も無之候ハヽ可
 為無用候事
一夫仕之儀付てハ、兼々被仰付置候通之事ニ候處、御家人
 共必多度夫を召仕候所も有之様子相聞候、定て各手ニ被
 附置候横目役、或櫨・楮之御用被仰付置候者共、右之御
 用ニ夫方を召仕候唱違ニても可有之哉、又ハ右之御用詫
 し候て、私用共夫方を召仕候者も有之、右躰之風説致流
 布候事ニ候哉、定て連々委敷吟味可有之と存候へ共、猶
 又精密ニ遂吟味、不埒之儀無之様可被申付候事
 右之通可致沙汰旨、御奉行衆被申聞候間、御仲間へも御
 通達、不洩様可有御沙汰候、以上
   四月           御郡間

三三六
一寺社  一山伏  一陰陽師
 右之分病死之節、五ヶ寺組より何月幾日病死之段相達候
 筈、申談有之候
一御領内之者、虚無寺之弟子と成候儀、以来寺社御奉行所
 へ相願、受裁許可申候、無其儀私ニ本則等取候者は、吟
 味之上越度可被仰付候事
   寶暦七年十二月十八日


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