goo blog サービス終了のお知らせ 

津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

小須賀覚書 4/4 及び 同・読み下し(四)

2012-07-20 09:25:56 | 史料

                                    長刀に而かいしやく仕地震之間へ火をかけ、面々廣
                                    間へ出候而、小笠原正齋、川北石見両人致切腹候而
                                    長岡越中守殿屋敷焼拂申候 付り局おしも
                                    退すまし候て京都に忍び居候而越中守殿、与
                                    一郎殿御帰陣之時右之段々委細物語申候。内記
                                    殿ハ人質として江戸ニ御置被成候

 

    この文章には引き続き「右十八ヶ所之合戦は慶長五子之年七月中旬より九月中旬迄之内六十日之間ニ國々ニ而取合御座候」とある。
    この小須賀覚書のガラシャの生涯に関わる記事は、霜女覚書とは異なり多くの伝聞の一端であることがわかる。
    しかしある種の臨場感があり、霜女覚書と比してみると興味深いものがある。
    又当サイトに掲載している、日本基督教会宣教教師:山本秀煌が著した「細川公爵家の先祖忠興夫人の信仰美談」に紹介してある「小須賀覚書」
    とは、若干の異同が見られる。 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする