津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

小野武次郎の密意

2011-09-24 11:04:29 | 歴史

 

 山田康弘氏の「細川幽齋の養父について」は、大変センセイショナルで話題となった。

 その発端は細川忠興の言「幽齋は細川伊豆とやらん形(刑)部少とやらんにやしなはれ・・」云々によるものである。そして91歳の老女しゆゑいによって確認された。
綿考輯録の編者・小野武次郎も充分承知のことであり、悩みが深かったことが「藤孝公御養子ノ事」(永青文庫蔵)に伺われる。しかしながら巷間伝えられるように、幽齋は実父・晴員の兄・元常の養子となり忠興以降に繋がったとされている。武次郎は「余儀なき事」としているが、これが現在大揺れに揺れている。

 かって自衛隊第八師団の防衛館で「有吉家文書」が公開されたとき、細川家の系図が出品されていた。
当時ブログにも書いたが、これは忠興を細川経輝を養父とする系図であり大変吃驚したことを思い出している。記憶が定かではないが有吉様のお話では、藩主家から三家老家へ夫々下げ渡されたものではないかということであった。そういう認識が忠興公にあったことは、この一事をしても確実であろう。

 NiCiiで細川幽齋研究の第一人者・土田将雄氏の「細川幽齋の出自について」を読むことが出来る。ここに苦悩する小野武次郎の先の「藤孝公御養子ノ事」や「密意ノ覚」が記されている。小野武次郎の密意とはまさしく幽齋の出自に係ることであり、その最後の数行はまさに武次郎の苦悩を表している。
ご一読をお勧めする。

 

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