ほんがくじ
今日は史談会の有志10名で六角堂本覚寺を訪問した。
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かって私はブログ2009-06-25 16:19:08 で「長曽我部元親記(長元記)」を著した細川藩士・立石正賀のことにふれたことがある。 今年の6月ご住職からメールをいただき正賀のお墓が、本覚寺にあることをお教えいただいた。遅ればせながら宮村典太編の「雑撰録」から、「長曽我部元親記」を読んでいるが遅きに失したきらいがある。日本の古本屋を見ると以下の様なものが見つかった。果たして「雑撰録」にあるものと同じなのかが大変興味あるところだが・・
長曽我部元親記 全
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荒尾良水之写本 虫入り、 1、 文政二年
右長元記、一向宗円満寺ノ所蔵本ノヲ写之・・ト奥書有り
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ここ本覚寺は加藤清正の側室・本覚院(川尻殿)の菩提寺として知られる。あたかもその法名をもって川尻殿の為建立されたように言い伝えられているが、この説については疑問が残るところである。かって本覚院のお墓の移転が試みられたとき、多数の遺物が発見された。正室水野氏から送られたものであろうと考えられる、おもだかの紋がついた埋葬のためと思われる手鏡や、六文銭の替わりに入れられた丁銀(1000万円以上?)などを拝見、手にとって思わずため息をついてしまった。
加藤家没落後荒廃していたが、立石正貞が父・立石正賀の石廟をここに移し寺を再興したとされる。大乘院(正賀の法号)石祠なるものがあり、中に墓碑があり石廟の左側面にはその由来が刻み込まれている。慶安二年に八十二歳でなくなり、寛文年の末にここに移されたという。160ページほどの「長曽我部元親記」をさてどうしようかと、思案中である。