津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

TVのおかげ

2009-04-11 17:19:05 | 徒然
 隣の部屋のTVの音声が耳に飛び込んできて、慌てて画面に取り付いた。「アンコールワット」に関する番組なのだが、落書きで有名な森本左近大夫の話だ。京都の「じょうがんじ」で左近大夫のお墓が見つかったと言うのだ。(つい最近の話しではないようだ)ネットで調べると、上智大学の石澤教授の二つの論文がヒットした。「乗願寺」とあり、間違いないことのようで、兄の森本儀大夫のお墓もあるという。後年細川家家臣・森本儀十郎がお墓を作ったらしい。又情報として、侍帳に加筆しなければと思っている。
     歴史と落書き angkorvat.jp/doc/ang-ishizawa5.pdf
     アンコールワットに於ける日本語墨書
              angkorvat.jp/doc/ang-ishizawa4.pdf
     森本一房    ja.wikipedia.org/wiki/森本一房
            
 最近はTVをあまり見ることがなくなった私だが、今日はラッキーだった。
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陣中に於ける歩御使番の仕事

2009-04-11 15:04:23 | 歴史
「部分御舊記」に「歩御使番衆於原城御使仕帳」というものが記されている。2月27日~28日にかけての嶋原・原城落城の日に、14名の者が193回にわたってその御役目を果たしている。もっとも多いのが内藤平左衛門の17回、少ない者でも3回(4人)である。
 その内藤平左衛門の仕事ぶりを見ると、細川勢の戦い振りの一端が垣間見える。

(1)二月廿七日
壱度ハ松平伊豆様・戸田左門様へ二丸を御乗取被成火をかけ焼立させ被成二付手殊外けふり立申先見へ不申候ゆへ御人数本丸へ御乗せ不被成候/今少御見合被成けふり少々やミ申候ハゝ御乗せ可被成と被思召候由御両所様御返事ニ御使満足被成候/二丸御乗取被成火をかけ焼立させ被成候由尤二思召候/猶易儀御座候は重て可被仰進候由相使吉田瀬兵衛

(2)廿七日
壱度ハ御先手へたての板を持せ可参旨被仰付即持せ参藤掛蔵人ニ引渡申候/私壱人参申候/證拠福田九右衛門

(3)同日
壱度ハ松平伊豆様・戸田左門様・三浦志摩様へ本丸之内ニ竹把を被仰付鉄炮すくめに可被成と被思召候由御両三人様御返事ニ御使之通り一段可然思召候御人数そこなひ不被成様ニ急竹束把を被仰付可然と被思召候由私壱人参申候

(4)同日
壱度ハ長岡佐渡守ニ本丸と二丸之間に見合さくを振せ可申旨申渡候/佐渡守御請ニはす池の少上テに可仰付哉と申上候/相使岡田五郎兵衛

(5)同日
壱度ハ長岡佐渡守江被仰遣候はさくの振所左様儀ハ得御意不及由可然と存候所ニ急キさくを振せ可申旨申渡候/佐渡守御請ニ畏り奉存候御先手に居申し候衆を跡へ戻りさくを振せ候へと申付候儀ハ如何ニ奉存候御はたもと衆ニ被仰付可被下申上候/相使岡田五郎兵衛

(6)廿七日
壱度ハ澤村宇右衛門・長良長兵衛ニ佐渡申所ニさくを振せ可申旨申私候/両人御請ニ畏り奉存候/相使岡田五郎兵衛

(7)同日
壱度ハ長岡佐渡守・有吉頼母佐へ御先手之御人数ひかせ可申旨申渡候/両人御請に畏り奉損候/相使福田九右衛門

(8)同日
壱度ハ大木織部本丸石垣きわに居申候を召連罷帰り可申旨見仰付参申東ノ角石垣を尋申候得とも居不申ニ付宇右衛門ニ相尋申候へハはや御本陳江罷帰申候由申候間私も罷帰申候/相使い家入半左衛門

(9)同日日暮
壱度ハ馬場三郎左衛門様御使ニ罷なり立花飛騨守様御先手之衆ニ鉄炮ニ而味方討不仕様ニうたせ可申旨申渡候/御返事ニ味方うち不仕様に申付候弥可申付け候間御心易可被思召旨申上候/相使い福田九右衛門

(10)廿七日ノ夜ル
壱度ハ松平伊豆様・戸田左門様・三浦志摩様へ城内より小船壱艘出申由申候間則こはやを四五艘被仰付いつくまても追懸次第可参旨被仰付被遣候/其上はまてを能かため被召置候間御心替可被思召旨被仰進候/御両三人様御返事被入御會具ニ被仰進候被為得其意由然処ニ左門様御言傳被な候濱手之さくきハに人を被遣被成御覧候得ハちとゆるかせに見へ申候間しかと仕たる仁壱人被仰付被召置候ハゝ可然と思召候由申上候/相使葉林弥三右衛門

(11)同日夜ル
壱度ハ戸田佐門様江唯今ハはまてのさくきわの儀御言傳被成其さく入申儀にてハ無御座候/本丸と二丸との間にてしめさせ被召置候間其段御心易可被思召候由御返事ニ重而之御使尤二被思召候/猶替儀御座候ハゝ重て御注進御待被成候由/相使葉林弥三右衛門

(12)廿八日
壱度ハ松平伊豆様・戸田左門様・三浦志摩様へ只今城内を見せニ被遣候きりしたん本丸松之下に壱弐間程ふすまを作り居申候由申候是式居申分ハ唯今之間にふミつふさせ可申候間御心易可被思召候由被仰進候/御両三人様御返事ニ御使通り被為得其意候/ともかくも可然様に可被仰付由/相使末松勘兵衛

(13)同日
壱度ハ本丸に井上清兵衛様被成御座候に被仰進候其許に御座候と相見え申候/夫に竹把を被仰付候か可然と被思召候哉由御返事ニ是ニ居申候を御覧被成候由にて御使被遣御満足ニ被思召候/其上竹把を被仰付一段ニ被思召由私壱人参申候/證拠家入半左衛門

(14)同日
壱度ハ本丸ニ敵未居申候哉見届参可申旨被仰付参申候/松ノ木御座候所まて参見申候/敵一人も見へ不申女・わらんへ三四十ほと居申候/住江甚兵衛・国友式右衛門・下津将監ニ相敵見へ不申よし言葉を易シ罷帰其段申上候/相使生田四郎右衛門・守田弥五右衛門

(15)廿八日
壱度ハ長岡佐渡・有吉頼母ニきりしたんの首をひろハせ可申旨申渡候/両人御請ニ最前討捨との御意にて御座候間首壱ツもとらせ不申唯今ハ入ましりにて御座候間如何可有御座哉と申上候へハ又私被遣候/左様之儀ニ構申事にてハ無之候きりしたんの首数を御存知為被成ニ候間急キ女・わらんへ二かまひなく首をとらせ可申旨申渡候/両人御請ニ畏り奉存由/相使守田弥五右衛門・生田四郎右衛門

(16)同日
壱度ハ御人数濱手より御引せ可被成候間濱手のさくきハニ参居申候人数 上使衆之人数につかへさるやうに引せ可申旨被仰付私壱人参申候

                             了
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四郎との まいる  (二)

2009-04-11 10:51:39 | 歴史
       猶/\小兵へまいり候ゆへまん其もとへまいり申たき
       と申事候以上
     此ほと小兵衛まいらせ其もといつれも御無事のよしうけ給
     まんそく存候 しかれはる/\ふミにて申まいらせ候処
     に御返事さへ御入候す候 子供すておかれ候さへなさけ
     なく存候御返事なき事なさけなく思まいらせ候 我々なと
     かやうの身に成候て小兵へまいらせ事にてもなく候へとも
     上さま御使のしゆのこらす御よりあいにて志ろうちのきり志
     たんにてなきもの出し申候ハゝ我々とも大やのしゆ一度に   大矢野衆
                  (わカ・われ/\)
     しろへ御入候ハんとのとれ/\も御まへにめしいたされうけ
     給候ゆへおなしミちとハ申なから一所にまいりいつれのミち
     にも成行申たく候て申入候 御ふんへつ候て其もとへ御よひ
     とり候而可給候 此ほと小左衛門殿・小兵へ殿へ之御返事
     むりきりしたんの御なし候もの御入候ハす候と返事ニ候
     へともそれハいつわりと小左衛門殿・小兵衛殿御申候 ふた
     りの御申候をうけ給候へ我々も一たんさようにそんし御いつ
     わりと思ひまいらせ候まゝとかくの御返事可給とうらミ申候 
     此ほとも申まいらせ候上さま御つかひのしゆより城内御入
     候ハんとの御いつわりなく候文にても御心もとなくおほしめし
     候ハゝいかたへなりともさしつのまゝにいて合たいめんの上
     直に申候へとの御事候 此とをり御きゝわけなき事ふしんに
     存候 いつれのミちにも返事まちまいらせ候かしく 
       二月四日         まるた
                      れしいな
         ますだ
          甚ひゃうへとの
          四郎との
              まいる
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