津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

司馬遼太郎は・・・

2006-11-26 21:19:01 | 書籍・読書
 大好きな出久根達郎氏の「あらいざらい・本の話」を読んでいたら、「司馬文学の鍵」という項があった。その中に講演で語られるご当地昔話の中に、「細川家と肥後モッコス」というものがあるのだそうな。初めて知った話だが、どうやら講演集のCDに入っているようだ。「幾つかのエピソードは、氏が小説を書く上で集め、小説に使わなかったものだろう」と出久根氏は解説する。

 司馬氏は昭和48年に熊本に講演で訪れた際、「熊本を題材に小説を書いた事は無い。それは熊本が難国だからだ」といっている。加藤清正や細川家を持ち上げ、隣国薩摩を○○呼ばわりしている。(詳細はサイトの中の「司馬遼太郎と熊本」を参照されたし)熊本での講演だから、司馬氏のリップサービスだろうが、一寸大人気ない発言ではある。それにしても出久根氏が見たという講演集が気にかかる。
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武士の家計簿

2006-11-26 09:24:13 | 書籍・読書
 磯田道史著「武士の家計簿」はなかなか面白い。切米四十俵の「ご算用者}の猪山家が、その才能をもって100石の知行取になり、さらに嫡男は知行を増やして180石になった。この著作は、その猪山家の詳細を極めた「金銭出納帳」を解読して平易に紹介しているが、武士の生活の有様がよく分る。

 猪山家の出世の糸口は、加賀前田家の家臣として、藩主前田斉泰と将軍家斉の娘・溶姫の婚礼に当たりあの赤門(東大)の建設その他に勘定方として尽力した事による。四十俵の身から、一躍新知七十石の身分と成り、溶姫のお側にあって「姫君様御勘定役」になっている。その折、主君斉泰から骨折賃として「七両」拝領している。年収の半分に当たると磯田氏は解説する。

 我が家の二代目も、細川綱利女・光姫の婚礼に当たり「御道具支配人」を仰せつかっているが、後藩主綱利から三両、光姫から二両を拝領している。元禄二年のことであるが、七年後光姫は他界した。一両の相場は5~6万円というから、25万~30万のボーナスが出たということに成る。擬作百石の我が家にとっても有り難い事ではあったろう。
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