必要があって萩原朔太郎を読んでいる。
朔太郎といえば、
詩集『月に吠える』
だが、
今回はあえて『猫町』について。
『猫町』は散文詩風の短編小説である。
これには、いろいろな猫が出てくる。
私はこれを読んだとき、
朔太郎の抱えている苦悩、憂鬱、煩悶が
分かるような気がした。
つまり、
私もこんな感覚になって迷子になったことがあり、
他人事ではないような気がしたのである。
『猫町』はこんな風にはじまる。
「私(主人公)は毎日4、50町(30分~1時間)
くらいの散歩をしていた。
田舎町のどこでも、商人は算盤をはじき、役人は
煙草を吸い、来る日も来る日も単調な暮らしを
続け、次第に年老いていく人生を考えている。
……その日もやはり……」
こんな風に、もの思いにふけり、
人生を考えながら散策する詩人。
やがて道に迷い、
気がつけば猫だらけの町にいた。
そして、
「詩人は道をなくしていた」
「迷子になった」
やがて、
現実にもどされたときの不思議な感覚!
自分は一体、どこの世界にまぎれ込んで
いたのだろうか。
夢か現(うつつ)か?
私(内田)は
歩いて図書館に行った帰り、
完全に道をうしない(迷子になり)
一時間半ほど、さまよい歩いて、
やがて現実に生還した。
それは決して悲惨でも、寂しくもなく、
幸福な体験であった。
もっとも私の場合、
詩人の要素とはほど遠く、
単なる「方向オンチ」といったものだが。
昔、年寄りはよく言ったものだ。
「季節の変わり目は気がふれる」
つまり、精神状態がおかしくなる。
私は、そのたぐいかもしれない。