一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

こらえ性がない

2016-02-13 15:28:00 | 雑記


      さっきも電話が入った。
      外出先から急ぎ帰ってお茶を飲もうとしていた
      ところである。
      「○○さんですか」「はい」
      「○○△△さんいらっしゃいますか」
      男の人の声で、やけに慇懃である。
      「私ですけど」
      「先日もお電話した××保険ですが」

      「はあ?」
      この辺から私の声はとげとげしくなる。
      相手は保険会社の名前を二度くりかえした。

      「勧誘か何かでしょうか。あの、保険はたくさん
       入っていますのでお断りしたはずですが」
      先方はまた粘って、くりかえそうとする。

      「今取り込み中なので失礼します」
      ガチャン!!
      受話器を置いた。

      (電話で勧誘するなよ~)
      (用があるときはこっちから連絡するさ)

      私はお茶をすすりながら、まだうそぶいている。
      不愉快な気持ちはしばらくおさまらない。

      こんなことが頻繁になると、どうやら私の頑固さ
      は年齢とともに度を増してくるようだ。
      年々、こらえ性がなくなってきているように思う。

      古代ローマの政治家、哲学者のキケロは「老年論」
      のなかでこんなことを云っている。

      <人生のおのおのの時期には、それにふさわしい
      ものが備わっているんだよ。
      少年期の元気よさ、壮年期の重々しさ、老年期の
      まろやかさには、何か自然なものがある。それを
      それぞれの時代に享受すべきなのだ>

      老年期のまろやかさ、ねえ。
      ここで私はしばし、考えこむ。

      そして、2000年前のキケロさんはこう諭す
      のである。

      <人はやはり、いつまでも生きようとはせずに
      それぞれ適当なときに消え去ることが望ましい
      のだ。
      自然は他のすべてのことに限界をおくのと同じ
      ように、生きることにも限界をおくからだ>

            
      老年期のまろやかさにはほど遠いけど、
      私だって、少しは忍耐づよく、不意の電話にも
      臨機応変の対応をしたいと思っているのだ。
      

      ※ 陽だまりの水仙