一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

極楽寺は遠かった

2013-01-09 14:57:21 | 歴史



      正月もほぼ終わりという先週末、わが家にきた客を
      さそい極楽寺に行った。

      極楽寺とは縁起のいい名前、
      それに正月太りも気になる、
      日頃の運動不足も兼ねて、
      あれこれ理由をつけて出発した。

       
      極楽寺は江ノ電で「極楽寺駅」で降りればすぐなので
      難しくはない。
      ただわが家から江ノ電に乗るにはいったん江の島まで
      出なければならない。わざわざ迂回するのもナニだと
      直線距離で行こうということに。


      前に知人が自転車で極楽寺に行くのよ、といっていた。
      ネットで検索すると、それなりに道はあるようだ。
      だから、私は簡単に行けると踏んでいた。

     
      ところが、入口を間違えたのか、
      坂を昇り降り、石段を昇ったり降りたり……かなりの
      距離を歩いているはずなのに、一向にその道が見つか
      らない。
          

  
      私以外は鎌倉がはじめての人ばかり。
      結局、大仏さまの近くまで行ってしまった。
      その手まえにトンネルがあるのだが、その横の、胸を
      突くような坂道を昇ってようやく山越え成功。
      (すごく高い石段で、目がくらくらした)

      そこからはまた急坂を下って下って……稲村ケ崎の海
      のほうへ。
      やっと着いた!


      極楽寺は1259年に北条時重が開いたお寺である。
      なんでもこの地は死骸が遺棄されたり、行き場のなく
      なった者たちが集まる地獄谷と呼ばれる地であったと
      いう。
      それを供養し、人々の平安を祈ったのであろうか。

    
      極楽寺は鎌倉の名刹とはちがい、山門も境内もどちら
      かというと地味で素朴なたたずまいである。
      おみくじや売店があるわけでもないから、訪問客も
      少なく、ひっそりと落ち着いた古刹であった。

      
     「極楽」とは苦患(くげん)のない、この上なく安楽
      の世界なのだという。

      帰途、膝が笑ってがくがくした。
      この日の教訓は、容易に極楽には行けないということ
      であった。
      
      (写真は素朴な萱葺きの山門)
 
      
      

      

今年も”あばうとに”

2013-01-04 19:50:46 | 


      明けましておめでとうございます。

      車を運転しながらラジオを聞いていたら、街ゆく
      若者が今年の抱負を語っていた。
      あれもしたい、これもしたい、あそこに行きたい、
      ここに行きたい……
      あれこれ夢や希望が多いということは若いってこと、
      そう思った。

      就活、婚活、ともに縁のない私は、
      (あったらキモチワリイ~)
      あらたまった抱負などない。強いていうなら無理せず
      このままの状態が続くことであろうか。

      無理したらかえってうまくいかないことを、これま
      での経験から身をもって知っているのです。
      かといって、タガをゆるめると、私のような怠け者は
      グズグズになることも分かっているのです。

      ですから、在るか無きかの燃えかすのような炎を、
      だましだまし燃焼させ、上手くおだて上げて使うしか
      ないのです。

      こんな時に口をついて出るのは中島みゆきの
      ”あばうとに行きます”

       ♪ 何かに急かされて 息を詰めすぎたね
         ひとまず普通に呼吸をしてみます ♪

      目下、これは私の応援ソングならぬ、テーマソングに
      なっているのだ。

      今年も”♪ あばうとに行きます”
      よろしくお願いします。

      (写真は長谷観音で。仏足石の上にお供え)