一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

避暑ばなし 2

2011-08-18 20:06:26 | 


    Y夫婦(チビの祖父母)の家のある入口には
    こんな看板が立っている。
    「日の出が丘」の上に小さくて見えないが、
    「ニセコ積丹小樽海岸国定公園」という長た
    らしい表示。
    そう、ここは積丹と小樽にまたがる国定公園
    で海岸(日本海)寄りなのだ。

    ここを入ると森の中に別荘20数軒がパラパ
    ラと点在している。
    看板に「温泉別荘地」とあるように、すべて
    温泉付き。 羨ましいような寂しいような。
        
    

避暑ばなし 1

2011-08-17 20:36:41 | 



    およそ避暑って柄(ガラ)でもないのに、今
    夏は4歳未満、小3、6年の男児3人を連れ
    て北海道にいってきた。
    チビの父方の祖父母がニセコにいるので。

    新千歳空港からさらに車で2時間半。
    支笏湖をぐるっと1周すると見えてくるのは
    羊蹄山である。
    「蝦夷富士ですね」
    思わず口にすると、迎えに来てくれた人が、
    「こっちの人は蝦夷富士なんて誰もいわない。
     ただ、ヨオテイとしか」
    とのこと。
    「蝦夷富士!」なんてやや感動的な声を出す
    のはよそ者だけらしい。

    ところで北海道にはアイヌ語を語源とする地
    名が多い。
    長万部(オシャマンベ)、大楽毛(オタノシゲ)、
    音威子府(オトイネップ)……等々。
    ニセコとはアイヌ語で「切り立った崖の下を
    流れる川」という意味で、ここだけは漢字を
    当てはめてもなぜか、定着しなかったらしい。

    アイヌとは北海道の先住民族である。
    本格的に北海道開拓がはじまったのは明治に
    なってからだが、それ以前にも蝦夷に和人が
    入っており、蝦夷征伐やアイヌとの衝突と
    いった史実はある。
    そのたびにアイヌの人たちは追いつめられ、
    伝統的な生活、文化の破壊も進んでいった
    のだろう。
    オーストラリアのアボリジニ、アメリカ大陸
    のインディアンがそうであるように。

    話は変わるが、ニセコは世界でも有数のパウ
    ダースノーやスキーリゾートとしての規模か
    ら「東洋のサンモリッツ」と呼ばれるんだって。
    (これも観光用語?)
    いつか新聞にも出ていたが、特に豪州からの
    観光客が多く、地元の人も「どこか外国の街
    ?」と錯覚するほどだという。

    それが3・11地震以来、さーっと(面白い
    ように)引いてしまったのだとか。
    そういえば北海道滞在中、外人は3組くらい
    しか見なかった。
    (北海道もフクシマもミヤギも外人からした
    ら同じだものね)
    「この冬は大打撃ですね」
    車中で現実にもどされた。
    

    ※「サンモリッツ」を「サンモリック」と書い
     て友人から指摘のメールを頂戴しました。
     ああ恥ずかしい~。
    
        
     

    

    

    
    

『ガセネッタ&シモネッタ』 その2 

2011-08-04 21:29:14 | 読書



    米原さんは大の下ネタ好き、そのためにシモネ
    ッタ・ドッジという敬称を賜ったことに、事は
    はじまるのだが、米原さんにいわすと先輩の
    ベテラン同時通訳者(女性)はその比ではない。
    下ネタにダジャレを折り込んで、その見事さに
    は毎回アッとうならされるほどだという。
    
    何しろダジャレを吐くためには真実や事実を誇
    張するのなど朝飯前、ゆがめたりするのも辞さ
    ないというあっぱれさ。
    米原さんはひそかに彼女をガセネッタ・ダジャ
    ーレと呼ぶようになった。

    そもそも同時通訳者に下ネタ好きが多い。
    いまはやりのグローバリズムに最も合致するの
    が下ネタで、いかなる言語、文化をも楽々と飛
    びこえて万人に通じるのは他に例をみないとい
    う。

    どころがダジャレはその逆。
    狭く排他的で言語の壁を乗りこえられない偏狭
    なナショナリズムなのである。
    言葉にしみついている常識や伝統的観点が、
    ダジャレによってちょっとズレる面白さ、それ
    が笑いのもとになるのだが、おそらく通訳者は
    常に意味のみを訳すことに縛られているため、
    意味から解き放される、その解放感がたまらな
    いらしいのだ。

    こんな理屈をいうより例題を。
    「他人のフンドシで相撲をとる」
    このいかにも出てきそうな冗句を米原さんは
    とっさにロシア語で、
    「他人のパンツでレスリングをする」と訳して
    しまった。

    日本の国技である相撲に対してロシアの国技で
    あるレスリングを持ってくるあたり「さすが~」
    と思うのだが、これは間違いらしい。
    フンドシは「力」とか「権威」とか「権益」と
    いった意味で使っていて、それを「パンツ」と
    訳したのは誤訳?!
    口から吐いた途端、それに気づいたが、もはや
    一巻の終わり。

    本書にはこういった失敗例が満載されていて、
    読者は抱腹絶倒、それを誰かに喋りたくてたま
    らなくなる。

    後に通訳者をやめて物書きに転身した米原さんを
    評して、先輩通訳者はこういった。
    「米原さんて、最近はもっぱら産業廃棄物をチョ
    コチョコとリサイクルして出版部門へと流し、
    甘い汁を吸っている」

    う~ん、この的確にしてウイットに富んだ毒舌!
    うならざるを得ない。

    (写真は「米原万理特別展」をやっていた鎌倉
     文学館)

    
    
        
   
    

『ガセネッタ&シモネッタ』 その1

2011-08-02 00:44:03 | 読書


    8月になった。
    米原万理さんの著書に戻らなくてはならない。

    国際会議には欠かせない同時通訳。
    誤訳は致命的な結果を引き起こすこともあり、
    通訳のストレスたるや想像を絶するものだと
    いう。
    だから、同時通訳者はダジャレや下ネタが好
    きなのだとか。

    通訳とは単にAの言語をBに置き換えるとい
    うのではなく、その下準備たるや、半端では
    ないらしい。

    例えば一時の米原さんのように売れっ子同時
    通訳者となると、今日はイギリスでの建築学
    会、明日はロシアの要人を招いての懇談会、
    はたまた癌に関するシンポジューム、世界
    エイズ会議、宇宙開発のTV番組……等々、
    重用会議が目白押しといったことも少なく
    ないようだ。

    しかも、それぞれの専門分野の知識や最新の
    情報を調べておけばいいのではなく、出席者
    の顔ぶれをみて、その人の喋りそうな傾向
    とかクセ(?)といったことまでチェックし
    ておくのだとか。
    もちろん前もって資料をもらって調べておく
    のだが、場合によっては絶対出さない人もい
    て、結構泣かされることも多いらしい。
 
    言った端から泡沫のように消えてしまう同時
    通訳(レコーダーには残る)、一度口から出  
    た言葉は取り返しがつかない。
    一瞬一瞬が勝負で、どうやら人並みはずれた
    語学力だけでは駄目で、ユーモアも機転もき
    かないともとてもできるものではないことが
    よく分かった。

    ある国際会議でのはなし。
    日本の広告業界人のスピーチに『失楽園』
    が出たと思ったら、いつの間にか「シツラク
    エン」から「トシマエン」という話になった。
    (ここで詳しく書くスペースはない)
    「年増」と豊島園にある「トシマ」を掛けた
    言葉。韻を踏んだ「エン」。
    当然日本人の間では抱腹絶倒となったが、
    ほとんどの外国人はチンプンカンプン。

    同時通訳者はくどくどと説明しているヒマは
    なく、スピーカーから3~4秒以上遅れたら
    致命傷。
    冷汗、脂汗となったのは通訳者のみで、それ
    を反省している時間もない。

    かくして同時通訳者は完璧主義者には向かない。
    時間のストレスに耐えられる図太い神経と頑丈
    な心臓をもっていないと務まらないというので
    ある。