一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

五輪の星

2012-08-05 17:07:14 | 雑記
  


     暑いさなか、連日熱戦・激戦がくり広げされている。
     ロンドン五輪でも数多くのスター選手が登場した。
     ここで一人ひとり名前を挙げることはしないが、
     彼、彼女たちの闘いぶりは非常に崇高でうつくしい。
     
     (もちろん、これまでの苦しい練習やトレーニングが
     あってのことだけど)人間がここまでやれるものかと、
     賛嘆、ため息まじりにTVの映像に見入ってしまうこ
     とも少なくない。

     そして思うことはーー
     期待されていた選手が何かの拍子にリズムが狂って
     しまってミスを重ねたり、無残な結果に終わってし
     まった時のこと。

     (以下は新聞記事によるものだが)
     今から100年前のストックホルム五輪でのことで 
     ある。
     日本からは2人参加し、その1人が日本マラソンの
     父と呼ばれる金栗四三さん。
     当日、炎熱のため死者さえ出たレースを金栗さんも
     完走できなかった。

     ピーク時に必勝を期した次の五輪は第一次大戦で
     中止。
     悲劇のランナーとさえ呼ばれた。

     その30年後、金栗さんは郷里の熊本で五輪を振り
     返って「悔しかった、申し訳なかった」といいつつ、
     「しかし一度でも優勝しとったら若手の指導に全力
     を挙げたかどうか。自分も年とってまで走ったか
     どうか」と語ったという。

     これを読んで私はう~とうなってしまった。
     誰だって勝ちたいし、メダルも取りたい。
     だけど誰もが勝てるものでもないし、まして金メダル
     なんて夢のまた夢。

     つまり人間は勝とうが負けようが、そこからまたスタ
     ートだってことを忘れてはいけない。
     これは何も五輪のような大舞台でなくても同じ。
     受験、就職といった節目々々だけでなく日常のささい
     なことにも当てはまるのではないか。

     金栗さんにもどると、その後、選手を育成し、女子
     体育奨励の草分けともなった。
     女性のフルマラソンが実現したときには、
     「夢と思っていた花の実が実った、生きとってよか
      った」
     といったという。

     92歳で亡くなったが、毎年正月の箱根駅伝での
     「金栗杯」にも彼の意思は残されている。

     今回の五輪でも期待されたにもかかわらずメダルを
     逃した選手もいる。というよりメダル獲得者はほんの
     一握り、ほとんどの選手が悔し涙を流したといって
     もいいだろう。
     しばらくはしかたないが、勝負はこれからだ、とい
     うことを、いつか気づいて欲しいと思う。

     写真は71歳でオリンピックは3度目という法華津
     選手の見事な手綱さばき。
     総合結果は35位に終わったが、見ている者に金
     メダル以上の感動を与える。