一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

京都紀行 その4

2009-06-18 20:57:49 | 

    新島襄が八重の兄の山本覚馬の援助をうけて
    京都に同志社英学校(同志社大学の前身)を
    つくったのは明治8年のこと。
    場所は旧薩摩藩邸跡地で、覚馬が新政府に
    捕えられ、幽閉されていた場所。

    やがて釈放され、持前の勝気と才能をかわれて
    京都府顧問に抜擢される。
    しかもこのとき覚馬は目が見えず(ソコヒ)、
    歩けないという二重苦を背負っていた。

    襄が英学校をはじめたのは、最初からキリスト教
    の学校をつくるのを反対されたからである。
    アメリカから宣教師を呼んだものの、キリスト教
    はもちろん、聖書も教えてはいけないと命じられる。

    いわば京都はお寺さんの町、仏教徒からの猛烈な
    反対やいやがらせがあった。
    その都度、襄や覚馬が明治政府におもむき、府にも
    陳情するが、なかなかスムーズにはいかない。
    盲目の上に歩行困難な兄に付き添うのは、いつも
    八重であった。
    (しかも八重はその前に襄と結婚したとして女紅
     場=女学校の舎監をクビになっている)

    襄がキリスト教の学校創立にこだわったことよりも、
    むしろ、覚馬、八重兄妹をそこまで走らせたもの
    は何だろう。
    私はそこが気になる。
    かつて会津にいるときに闘った薩摩長州藩にたい   
    する意地か。
    はたまた、
    そんな国内の小さなことにはこだわらない、世界
    に向けてはばたく大きな意志といったものか。
    まだ、そこも責めきれないでいる。

    (写真は応接間にあったオルガンー部屋には賛美歌
     がながれていた)