唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第二能変  第二・ 二教六理証 その(91)  第六・ 我執不成証 (26) 

2012-06-25 23:03:15 | 心の構造について

 無記業を以て破す。

 「又無記の業は煩悩に引かるるものには非ず、彼復如何ぞ有漏と成ることを得ん。」(『論』第五・十五右)

 (また、無記の業は、煩悩に引かれて起こるものではない。従って無記の業は、どうして有漏となることを得ようか、有漏とはならない。)

 無記の業は煩悩に引かれて起こるものではないから、無記の業は有漏とはならない、しかし、有漏の無記業(有覆無記)は存在します、であるならば、無記の業はどうして有漏となるのでしょうか。従って、煩悩が発生させていることから有漏となるというのは誤りであると論破します。

 「論。又無記業至得成有漏 述曰。若以漏發名爲有漏。如無記業如何有漏。彼非煩惱引故。如無漏善。若言由他縁縛。亦如前破」(『述記』第五末・四十一右。大正43・415a)

(「述して曰く。若し漏が発するを以て名づけて有漏とすと為せば、無記の業の如きは如何ぞ有漏ならん。彼は煩悩に非ざるが故に、無漏の善の如し。若し他の縁縛するに由ると言わば、亦前の如く破すべし。)

 第三は、有漏の義を述べ、正しく有漏について説明する。(法相唯識の説く有漏について)

 「然るに諸の有漏は自身の現行煩悩と倶生倶滅して互に相増益するに由りて、方に有漏と成る。」(『論』第五・十五右)

 (しかるに、諸々の有漏は、自身の現行の煩悩と倶生倶滅して、互に相増益することによって、まさに有漏となるのである、と。)

 「自身の現行の煩悩と倶生倶滅して」という、「自身」は、有部の説くところの「たとえ、自分の身に煩悩が無くなった無学位の聖者でも、他者からの縁縛によって有漏となる。」という主張に対して、他者の煩悩によって、自分の身が有漏となるようなことはないと述べ、

 「現行」は、経量部の種子説に対して、種子ではなく現行である、と。そして「煩悩」は、大衆部の随眠を簡んでいます。「倶生倶滅」は時間の前後に生起することではなく、同時に生じ、同時に滅する働きであることを指しています。「相増益」は、互いに縁となって相い生じることをいいます。これを以て有漏の意義を正して、無漏法を除外します。無漏法は、互いに縁となり増益することはない。

 『了義燈』(第五本・十七左。大正43・749b)

 「言互相増益者。問第七與六爲雜染依増益於六。六識如何増益第七 答有二義。一者増長。二者不損 若第六識發業感八爲彼依縁。得相續住故名増益 起有漏時。設雖不能増長第七。而不損害亦名増益。非如無漏起必損彼不名増長。亦如眠睡。雖於眼根不能増長。而不損害亦名長養。此亦應爾。」

 「「互に相増益す」と言うは、問う、第七は六と雑染の依と為るをもって六を増益すべし。六識は如何が第七を増益する。答え、二の義有り。一には増長す、二には損せざるなり。若し第六識いい業を発して八を感じ、彼(第七識)が依と縁と為して相続して住することを得。故に増益と名づく。(第六識)が有漏を起す時は設い第七を増長すること能わずと雖も、而も損害せず。亦、増益と名づく。無漏いい起ることは必ず彼を損ずるをもって増長と名づけざる如きには非ず。亦、睡眠の如きには眼根に於て増長すること能わずと雖も、而も損害せざるをもって亦、長養と名づく。此も亦、爾るべし。」

 第七末那識が第六識の雑染依となって第六識を増益し汚染するけれども、第六識はどのようにして第七末那識を増益することができるのか、という問いが出されます。この問いに対して、二義がある、と。増長と不損の二面から説明されます。増長の面からは、第六識が業を起こして第八阿頼耶識を生起させると、その時に、第七末那識は第八阿頼耶識を所依とも所縁ともして、相続して活動するという点から増益するという。不損の面からは、第六識が有漏を生起する時、たとえ第七末那識を増長することがなかったとしても、第六意識は第七末那識を妨害したり損なったりすることはない、と説明しています。例も同じ意味です。

 『述記』の釈を見てみますと、

論。然諸有漏至方成有漏 述曰。第三成有漏義。諸有漏法。由與自身現行煩惱倶生倶滅。互相増益方成有漏 自身者。簡他身。不縛己 現行。簡種子。唯種不縛。故對法等云漏所隨謂逐他地者。但言漏隨不言縛他地。復不相増益故 倶生倶滅。簡前後發 相増益者。1遞爲縁相生義。正解漏義簡無漏法」(『述記』第五末・四十一左。大正43・415a)

 (「述して曰く。第三に有漏の義を成ず。諸の有漏法は自身の現行の煩悩と倶生倶滅して互に相い増益するに由って、方に有漏と成る。自身と他身の己を縛せざるを簡ぶ。現行とは種子を簡ぶ。唯だ、種は縛せざるが故に。対法等に云く、漏に所随すと云うは、謂く、他地を逐して但だ漏随のみと言う、他地を縛すとは言わず。復相い増益せざるが故に。倶生倶滅と云うは、前後に発すを簡ぶ。相増益とは互に縁と為り相生ずる義なり。正しく漏の義を解して無漏の法を簡ぶ。」)

 この項、『演秘』及び『樞要』・『了義燈』に詳細が説明されていますので順次述べていきます。