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とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

西郷どん

2018年03月03日 | 日記

 南洲神社は、西南戦争での西郷軍方の戦死者が埋葬されている鹿児島市の南洲墓地隣接に鎮座する神社である。遠く離れた酒田市に分祀された南洲神社があり、「西郷どん」の遺訓を学ぶ活動が今も続いている。
 大政奉還が終わっても、「西郷どん」率いる新政府軍と佐幕派との内乱は収まらず、佐幕派の双璧とも言われる会津藩と庄内藩は果敢に新政府軍と闘い続けた。奥羽諸藩が次々と降伏し、時の勝勢は明らかだった。江戸市中取締役だった庄内藩は、薩摩藩邸焼き討ちまでしての降伏に、庄内藩主の切腹も覚悟したものの、「西郷どん」の寛大な措置に感激し、藩主や藩士らは生涯「西郷どん」を慕う事となった。藩主自ら鹿児島に「西郷どん」の元へ教えを請いに出向き、庄内藩と「西郷どん」交流は続く事となり、選抜隊70余名が留学し教えを書き残した。
 酒田に鎮座する南洲神社は、昭和51年に創建。伊勢神宮の払い下げ用材を使用した総檜造りで、「西郷どん」に関する資料の他、遺墨や遺品も収蔵しており、菅実秀が明治23年に発行した「南洲翁遺訓」を現在も出版している。
 西郷隆盛は、薩摩藩の下級武士だったが島津斉彬の目にとまり、やがて薩長同盟や戊辰戦争を主導し、勝海舟との交渉で江戸無血開城を成し遂げる。その生涯を描いた大河ドラマ「西郷どん」で、酒田の南洲神社も注目されています。

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