明けましておめでとうございます。今年も皆様と共に良い年でありますように、そして、変わらぬご厚誼をよろしくお願いします。
元旦には年賀状をたくさん頂いた。一枚一枚丁寧に拝見した。懐かしい人。職場の変わった人。家族が変わった人など、顔が浮かび私と関わってくれた人々との記録であり、ほっとする時間でもある。
年賀状は昭和25年(1950)に1億8000万枚から始まったと何かで読んだ。2003年のピーク時は44億6000枚に成長したものの、年々減少傾向が強まり、今年は33億枚と推定されている。単純に一人当たり枚数は25枚の計算になる。今後どう変化するのか、人口減少と世相も絡み見通せない。日本郵政の知恵の出し所だ。
ところで、誤配はたまにはある。数年前に、近所の方が私宛の賀状を届けてくれた事があった。今年は、元旦に2枚、三日に一枚の誤配があった。それに、東京からの一通が届いていない。彼は元旦に届くように出していると言うので、今日まで待ってみたが配達されない。誤配された分と配達されない年賀状もあるので、酒田郵便局に電話をした。「すみません。誤配の分は配達のものが取りに行きます。配達されなかった方の住所教えて下さい。時間がかかると思いますが、調査します」との事だった。
私の出した年賀状は届いているのだろうか。私宛の賀状はどっかに誤配されてないだろうか。4枚の間違いは確率にすれば、すごい事である。日本郵政の信頼に関わる大事である。
速いもので今年も終わりを迎えた。異常天候による災害は年々ステージを上げ、まさかと思われる被害が日本列島各地を襲った。山形県も例外ではない。先ず、自分の命は自分で守る智恵と隣近所と助け合いの精神を日頃より培う気持ちが第一だと思う。幸いなことに庄内は大きな災害を免れた。
山形県を売り込んだ山形DC、東北六魂祭、全国育樹祭など大型イベントがあり、モンティデォの天皇杯準優勝、J1復帰など山形県の発信力は充分発揮できた一年でもあった。産業面では山形大学が飯豊町にリチウムイオン電池研究開発拠点整備に着手。鶴岡では人工くも糸関連で新会社が発足。酒田は花王酒田工場での紙おむつ生産が軌道に乗り始めるなど、先端技術も含めた新しい産業が芽を出し始めた年でもあった。今後の発展に期待が膨らむ。
何と言っても米価が未曽有の下落に陥った事が悔やまれる。国、県の農業対策は農地集約、大規模経営、付加価値の一本やりで、市場で勝てる産地づくりである。論理的には納得できるものだが、概ねの兼業農家が農業を営むには、それなりの理由がある。常識的に赤字農業は消えるはずが、どっこい農業を続ける不思議さがある。大都市から農産物を介して還流する富は大きい。
日本の食料基地を自負する山形県として、国に言い続ける事がある。コメは市場原理のみではなく、しっかりした計画生産で管理する必要がある。自然淘汰はあまりにも痛い。山間の奥まで行き届いた国土は、国の宝であり、国民が望んでいる姿である。
最後に山形3区の総選挙。支部長・幹事長会議で私は「政治は芸術だ。妥協の知恵はないか」と求めたが、結果はご案内の通り。心のしこりが消えるには、気の遠くなる時間が必要だ。良い年だったのかどうかかは、それぞれの人にある。