中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

「子どもに寄り添う」ってどういうこと?

2020年06月29日 21時07分47秒 | 活動日誌
学校が始まって1カ月たちました。

いろんな声が聞こえてきます。

学校に行き渋る子、リズミカルな生活を取り戻すのに苦労している子、何だか怒りっぽくなってしまっている子・・・・表面的には元気に見える子でも、どの子も内面ではもろもろ抱えているのだと思います。

学校だって、休校前とは全く違います。

なるだけ話してはいけないし、音楽の時間も歌えないし、友だちがいるのにじゃれ合えない苦痛は大変なものでしょうね。


「子どもの心に寄り添いましょう」とはよく言われる言葉です。

「寄り添う」とはどういうことを言うのだろうなって、改めて考えた。

気持ちを単に「受け入れる」ことだけではないですよね。
優しく「受け止める」ことなのでしょうか。受け止めるとは?

    心の支えになってあげること。
    支えるには、同じ方向をみて暮らさなくっちゃ、と思う。
    そして一緒に過ごすことが楽しくて嬉しいことかな。

子どもたちは、勉強の遅れを追い立てられるのが苦痛だし、先生にもっと自分を見つめてほしい、話を聞いてほしいと思っています。

健康的な生活環境の保障のない3カ月を過ごした上に、今度は夏休み半分返上で勉強なのです。

少人数学級や先生の増員は、そんな子どもたちの要求でもある。ともに頑張る仲間なんだ、そう考えることが大事だと思う。


子どもの権利条約には、子どもの意見表明権が明記されています。
しかし、いま、子どもたちにはその場が保証されていない。

本当なら「少人数にしたいが、みんなはどう思う?」と意見を聞く場があってしかるべきなのでしょう。

教室のエアコンにしても同じです。
子どもの様子から判断して大人が運動して設置させましたが、子どもから「暑くてかなわん」との声を上げることが保証される環境が欲しい。

それは、今の教育環境の中ではとても困難なことです。
だから、意見表明権の確率を目指しながらも、今はおとなが子どもの代弁をしてあげることが非常に大事です。

子どもに寄り添うことは、そういうことではないか。


決してその場限りで気持ちを「受け入れる」ことではない。

おとなが子どもを保護する立場で「やってあげる」ことも大事、でもそれだけではなく、共に困難を切り開く仲間でもあるということです。

大きく言えば、同時代に、同じ困難の中で生きている仲間同士なのです。












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