母さん、ごめん。(松浦晋也 集英社文庫)
著者は50代の中盤で独身、実家で母と暮らす。父とは死別、弟は独身で別住所、妹は家族ともドイツに居住。母が認知症と診断され、最初は1人で、やがて弟のアドバイスで介護認定してもらいケアマネらと介護をする。母の症状はどんどん悪化していくが・・・という体験談。
著者は宇宙開発などを扱う理系のライターなので、描写が客観的で、病気や介護サービスの背景などもよく調査して書いてあるように思えた。
そんな著者でも、実際に介護している時点では、指示に反抗したり失禁や過食を繰り返す母親や仕事ができず減っていく一方の貯蓄などに強いストレスを感じて、(母親が)「死ねばいいいのに」とつぶやくようになったり、ついには暴力をふるまでに追い詰められてしまう。
私は、認知症の症状について何となく知ってはいたものの、実際に身近に認知症になった人がいたことがないので、症状の実例を体験から記述した本書を読んで初めて「介護って本当に大変なんだ」と実感できた。
一番ショッキングで、反面「なるほど」と思えたのは、著者が母親に手を上げた(平手打ちを繰り返した)時、殴られた瞬間は「母親を殴るなんて」と言って事態を認識していた母親がすぐに殴られた事実を忘れてしまった、という部分だった。著者のようにすぐに冷静に戻って妹に助けを求められるような人はいいが、普通の人なら虐待を繰り返してしまいそうだ。(著者のような人でも我慢しきれずに平手打ちしてしまった瞬間は「「止めねば」という理性と「やったぜ」という解放感が拮抗」していたという)
結局、この暴力をきっかけにして、著者は母親をグループホームに入居させることにする。究極、介護も十分な財力があればかなり楽にできるだろう、というのが結論の一つなのだが、確かに財政面の懸念が全くないなら、最高級の老人ホームに入居させるのが、本人・家族ともに一番幸福なのかもしれない。
一方、著者が懸念しているように、行政は、施設ではなく自宅での介護を前提にサービスを充実させようという方向に向かっているようで、おカネにモノをいわせて被介護者を自宅から遠ざける、という方法は今後より難しくなっていく懸念もあるようだ。
また、同居していない弟と妹が協力的だったのも、幸運だったようだ。弟は介護サービスの導入を提案し、妹は帰国してグループホーム探しを助けてくれた。もし、著者が一人っ子だったら、よくあるように別居している家族が冷たかったら、事態は本当に悪化していたかもしれない。
本筋とは関係ないが、ヘルパーの1人がかつて「アルプスの少女ハイジ」のアニメ制作スタッフだったことがあって、当時最も恐ろしかったのは高畑勲監督がぼそっとつぶやく「これ全部作りなおそう」というリテイク指示だった、という挿話が面白かった。
また、母親がかつて大学卒業後に勤務した、丸の内にある財閥系の会社の(昭和30年代の)サラリーマンの実態を聞き書きしたおまけの章もよかった。