蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

リア充王

2020年08月23日 | 本の感想
リア充王(ホイチョイ・プロダクションズ 講談社)

ボクは運動が苦手で、どれくらい苦手かというと、ハンディキャップドと認定してもらいたいくらい苦手だ。
学校の授業では体育が苦痛で、特に劣等であることが誰の目にも明らかな陸上競技関係(高跳びやハードルの時がさらに)の時は不登校になりそうなほどイヤだった。

で、ボクが大学生~社会人初頭の頃、バブル真っ盛りで、スキー場やスクーバスポットには人が溢れていて、ホイチョイの馬場さんがスピリッツを初めとするメディアでスキーやスクーバをやらない奴は人間じゃない!みたいなキャンペーン?を張っていた。

運動が絶望的な苦手な若者にとってこれくらいキビしいことはなかった。
そんな若者が女の子にモテるわけもなく、「モテ」を人生最高の美徳としたホイチョイを心底から憎んでいた(などと言いつつも、原田知世さんのファンだった僕は馬場さんが作った映画を欠かさず見ていたし、ホイチョイの著作物の多くを読んでいた)。

それで、久しぶりに出版されたホイチョイ製の本書を初版当時に買っていたのだけど、なかなか読む気にならず、ずっと放っぽっていた。
買って以来2年くらいして読んでみた。
本書のメッセージ(前書き部分に書かれている)は、人が溢れていたスキー場などのスポットは、今やガラガラで、一方で道具類は確実な進歩を遂げてヘタクソでもそれなりに楽しめるようになっている、今こそスキーやスクーバを始めるべきでは?、ということだ。

この前書きを読んで、ボクは思った。「ザマミロ!馬場」(失礼)。

本書は(昔のごとく)リサーチが行き届いていて、一読すれば、馬場さんが言うように半可通の手前の手前くらいまでは行けるようになっている。運動オンチでも読んでるだけで楽しめるような趣向もたっぷりだ。イラストもとても洒落ていると思った。

本書によると、現代日本の若者は70歳の老人より活動範囲が狭いそうだ。
世界中で(ブランドものの服飾物から果ては株や不動産まで)買い物しまくっていた頃が日本という国のクライマックス(随分短かったなあ)であって、後はゆるやかな下り坂をたどっていくしかないのかなあ、そんな気がした。

それが悪いこととも思えないけれど。
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あと少し、もう少し

2020年08月23日 | 本の感想
あと少し、もう少し(瀬尾まいこ 新潮文庫)

桝井は中学校の陸上部のキャプテンで学校対抗の駅伝のメンバーを探している。陸上部の長距離組だけでは足りないからだ。
不良だが脚力がある大田と吹奏楽部のクールな渡部、バスケ部のキャプテンでムードメーカー:ジローを説得して参加させるが、去年まで厳しく指導してくれた顧問の先生は転勤し、かわりは経験ゼロの美術教師になってしまったことに動揺していた・・・という話。

このような筋で、主人公が率いる駅伝チームが(勝つにしろ負けるにしろ)活躍するのは間違いないので、新任顧問の美術教師をどう扱うのか?が小説全体の面白さを決めるような気がする。

突如陸上に目覚めて駅伝メンバーからもリーダーとして認められるようになる、というパターンと、やっぱり全く役にたたないのだけど駅伝とは別のところでチームに貢献する(例えばすごい美人だ、とか)パターンの二つくらいが思い浮かぶ。

本書ではその中間あたりをいく、絶妙なバランスのストーリーになっていて、凡庸なスポーツ小説、運動部モノとは一線を画しているように思えた。
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カリ・モーラ

2020年08月23日 | 本の感想
カリ・モーラ(トマス・ハリス 新潮文庫)

コロンビアからの移民で、マイアミで別荘の管理人などをしているカリ・モーラは美人でスタイルも抜群。動物好きで獣医を目指している。
カリはコロンビアの麻薬王がアメリカに保有していた別荘を管理することになったが、この別荘には麻薬王のお宝が秘蔵されているらしく、様々な悪漢たちが狙いをつけていた・・・という話。

うーん、レクターものに比べると、かなりライトな雰囲気でカリのキャラもイマイチ立ってないかなあ、と思っていたのだが、終盤で悪役のハンス・ペーターとのカリの一騎打ちの戦いは迫力があった。途中でこういう感じの場面があと2つくらい挿入されていれば、よかったかな。
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越境(ユエジン)

2020年08月23日 | 本の感想
越境(ユエジン)(東山彰良 集英社)

何回も候補にあがって世間的にはとっくに一流作家と思われている人が受賞することが多くなった直木賞だが、たまには作品そのものの素晴らしさが評価されることもある。
著者の「流」は、その典型例で、さして実績があるとはいえなかった著者が、その受賞で突如脚光を浴びたように思えた。
受賞によって一気に依頼が増えたころに書かれたと思われるものが多いエッセイ集。

冒頭の「バナナ人間の悲哀」は、中国留学中に学校の新聞にインタビューされ、「自分はどこの国にも属しているとは思えない」といった主旨のことを喋ったら、紙面には、バナナ人間が早くアイデンティティを獲得することを祈るみたいに書かれてしまった、という経験を記したもの。著者は台湾で育ち、日本で青春時代を送り、中国に留学して、今は中国語の先生をやっている。
アイデンティティ=国籍、ではなく、アイデンティティ=暮らしている国とも言えないのだろうが、やはり多くの人はそのどちらかに属性を感じているはずだから、著者のような経歴で確固たるアイデンティティを持てというのは無理があるのかもしれない。

ところで、著者はちょっとだけ私より年下で、学生時代は同じ日本で過ごしたのだが、本書を読んでいると、著者自身もその周囲の人も(「流」や「僕が殺した人と僕を殺した人」のストーリー通りに)他人を殴ったり殴られたりするのが当たり前だったようだ。
私は(アムロ・レイみたいに)親父にも殴られたことはないし、他人を殴ったこともない。けっしてお上品な家庭に育ったわけではなくむしろ平均以下の生活レベルだったと思う。
しかし、不良少年が主人公のマンガみたいな、そういう世界も本当にあったんだなあ、と思った。

巻末に「流」について語ったリービ英雄との対談が掲載されているのだが、その中でリービ英雄が語った次の部分が印象に残った。中国の教養人は今でも四書五経を諳んじているんだろうか??
「僕が一番感心して、多少交流も持った中国の作家は莫言氏と閻連氏ですが、ふたりとも農民出身なんですね。農民の世界は、四千年前からの古典を全部暗記しないと何一つ発言できないという教育の体系から解放されている。それに対して、亡命作家の高行健氏は北京のインテリで、僕には読みづらい。都市部の教養人の中国語を、僕ももちろん共有していない。さっき、あなたは自分の中国語は日常レベルとおっしゃったけど、それが作家にとっては重要なんじゃないかという気がして・・・」
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