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蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

日経の運動(スポーツ)部

2006年09月20日 | Weblog
最前線で注文をとってくる営業マンが、もっともしんどい仕事であり、それゆえ会社の中で優遇されたステータスを持っている、というのは多くの会社で見られることではないかと思います。
私の勤める会社でも、昔、営業畑の人が「当社の事務部門は日経(新聞)でいうと、運動部みたいなものだな」といってその部門をけなしていたことがありました。日経の運動部(そういう名称があるかどうか知りませんが、スポーツ面担当の部署)の方には大変失礼ながら、事務処理部門は傍流のどうでもいい部署、というのがいいたいことのようでした。
実態がどうかは知らない(まあ、主流とはいえないのでしょうが)のですが、日経のスポーツ面は、スペースこそ狭いものの、記事の内容は相当に興味深いものがあります。

他紙は週に一度くらい会社にあるものを読むくらいですが、朝・毎・読の3大紙のスポーツ面は記事の内容(テキスト部分)が似たりよったり。日経は分量が多い記事を書けるのはプロ野球やサッカーでいうと1試合しかないので、特徴を出そうとしているのか、コメントするその日の紙面のメイン試合の選び方が他紙と違うことが多く、時々とても個性的なコメントが読めます。

特にサッカー記者(専業とまでいかなくて時々プロ野球の記事を書いたりしているのに一抹の悲哀を感じますが)の武智さん、吉田さん、阿刀田さんの三人の記事はサッカー専門誌のような言葉使いで他の一般紙とあきらかにちがいがあります。特に阿刀田さんの比喩の使いかたは独特で、最後の署名を見なくても「これは阿刀田記事だ」とわかります。
また、プロ野球記者(今はフリー)の浜田さんも有名だと思います。

日経の運動部の記者自身も自分たちが主流でないこと(本当にそうかどうかは知りません。案外出世コースだったりして)に自覚は十分にあるし、平日の紙面は1ページしかないけれど、それゆえに自己主張があり、差別化した、読者が読んで面白い記事を書こうとしているという意欲みたいなものが伝わってきます。

さて、私は何年か前から営業部門をはずされて事務処理部門のさらに間接部門みたいなところで働いています。うらぶれて都落ち・・・みたいな気分にどっぷり浸ってしまいましたが、「こんな比喩を日経でつかっていいのか?」とつっこみながら阿刀田さんのコメント記事を読んでいると「青山あり」のことわざがふと浮かんでくるのでした。

何度も見る夢

2006年09月06日 | Weblog
同じ内容の夢を何度も見るというのは、映画や物語でもよく見かけますし、エッセイでも時々テーマになっていたりするので、多くの人が経験していることなのだと思います。

私が繰り返し見る夢は、次の二つです。

①大学のある授業の単位が取得できず、卒業が危うくなってあせる夢

②海外旅行にでかけようと空港に来たのに、パスポートを自宅に忘れてきてしまう夢

①については、何度も夢に出てくる原因ははっきりしています。私は法学部だったのですが、債権法という科目の試験が3年次にあり、これが「不可」となってしまったので、4年次に再履修して試験を受けることになりました。この他の科目についてはすべて卒業の条件を満たしていたのですが、債権法はいわゆる必修科目であったために単位がとれないとそれだけで卒業できなくなってしまうのでした。
しかも運悪く4年次の担当教授は厳しいことで有名な人。
大学にはいって初めて真剣に法律の勉強をし、試験も自分ではできたと思っていたのですが・・・
「もしかして名前を書き忘れたのではないか」とか「事務の転記ミスで不可になったりしないか」など、ありそうもないことが起こりそうな気がして不安に苦しんだ経験がありました。これが夢の原因でしょう。
(ちなみに4年次の債権法はなんとか単位をもらえました。ただ、私自身は「優」だと思っていたのに実際の成績は「良」でしたが)

しかし、②については、悪夢と同じ内容の経験はありません。頻繁で海外に行ったことがあるわけではありませんし、数少ない海外旅行の出発時にパスポートを忘れたこともありません。
私が始めて海外に行ったのは27歳の時で、初めてなのに社用で同行者はなく、ロンドンまで一人きりという心細い状況でした。しかも飛行機に乗るのもこの時が初体験。戦前の話ではありません。平成になったばかりの頃の話です。海外にも飛行機にも非常にオクテだったわけで、「とにかくパスポートと帰りのチケットだけはなくしてはいかん」という強い思い込みにとらわれていました。これが悪夢②の原因でしょうか。

しかし、油断大敵、最近、②に近い状況に陥ってしまいました。ここ数年海外とは縁のない仕事をしていたのですが、突然、香港に出張しなければならなくなりました。あわててパスポートを引き出しの奥から引っ張りだしてみると、何と10年の有効期限が先月で切れていたのです。出張日程は3日先・・・。仕方なく替りの人に行ってもらうことになってしまったのでした。ああはずかし。

PS3買いますか

2006年05月13日 | Weblog
PS3の価格が発表され、廉価版で6万円強、完全版だと8万円を超えるとのこと。ソフトを2、3本買ったらもう10万円。かなりふところに余裕のあるお父さんでないと、気軽にクリスマスプレゼントにできる値段ではなく、発売元自らが言う通り、ゲーム機、おもちゃ、とは別のモノになったということだろう。

CDやDVD、デジカメは、既存メディアとほとんど同じ値段になると爆発的に普及した。私のようなケチからみると、レコードやテープ、フィルムカメラといったすでに手元にある機器を買い換えるほど新しいメディアの機能がすぐれていたとは思えない。
CD、DVDはレコード、テープに比べて画音質は確かに良いけれど、私自身はさほど有意な差を感じない。これらの新メディアが明らかに優れているのはランダムアクセスの機能だと思うが、テープを巻き戻す時間が惜しいほど多忙な生活を送っている人はあまりいないと思う。
デジカメは撮ったらすぐに結果が確認できるところが確かに便利だけれど、世界中のフィルムメーカをあっという間に苦境に追い込むほどの便利さとも思えない。(フィルムを現像に出して出来上がった時に初めて結果を確認できるという仕組みというのもそれなりのトキメキみたいなものがあるし・・・)
機能に断層的といえるほどの差がなくても、豊かな先進国では、ほんのちょっとした便利さの差があれば、多くの人がそれを言い訳にして目新しい商品に飛びつくということなのだろうか。
人々が新商品に飛びつくようになるための重要な前提は、先にも述べたように「新旧の商品の価格差がなくなること」だ。ケチな私もDVD再生機が数千円で売られるようになってつい買ってしまった。
プラズマ・液晶テレビは実売価格が30万円台になったころから普及しだしたように思う。そうは言っても、「爆発的」といえるほどの売れ行きではない。ブラウン管テレビは数万円で買えるのだから、ある通販会社のTVCMにもあったが、薄型TVを買うということは普通の家庭にとおいてはまだまだ特別なイベントだ。多くの人は「まだ下がるはず」と考えていると思う。

ずいぶん前置きが長くなったけれど、PS3の価格は失敗じゃないかなあ、というのが言いたいことだ。(陳腐な結論ですいません)
なんとなく、マーケティングより技術やコンセプトが優先されてしまったんじゃないか、と思う。「PSも発売当初はファミコンより随分高かった」という反論もあったようだが、PSが本当に売れ出したのは値段を下げ、かつ、FFがPSのみで発売されることが決まった後だったと思う。それまではサターンといい勝負だったが、スクウエアがソニーを選んだ後は差が圧倒的になり、サターンは早々に滅亡した。(私自身がサターンのみを持っていたのでとても悔しかった。ちなみに私は今でもサターンでゲームをやっている。サターンの中古ソフトをいまだに売っている店が近所にあるからだ。1枚100円くらいで。(ケチ!))
PS2がよく売れたのは、そこそこの価格で当時はまだ高価だったDVD再生の機能があるという「ほんのちょっとの便利さ」があったからだろう。では、DVDとBDに便利さで差があるだろうか。あるのは画質の差で、BDにその能力を発揮させるには完全版を買うだけでは足りなくて、まだ高根の花のハイビジョンを買う必要があるみたいだし。

PS3を買いたいと思っている人はけっこういると思うが、この値段を見て思うのは次の2つだろう。
「FFが出るまで待とう」
「13が出るころには安くなっているはず」

三菱が先か 東京が先か

2006年04月17日 | Weblog
かつて東京三菱銀行と呼ばれていた銀行を利用している人に聞いてみたいことがある。
UFJ銀行と合併した後、銀行振込先を書類に書く場合などに、「新行名は東京が先だったかな、三菱が先だったかな?」と迷ったりしませんでしたか?
私は、先日合併後初めて振込先を書く時、ちょっと迷って念のためホームページを見て確認しました。日本人がこうなのだから、(東京銀行の流れで)それなりに利用者が多いはずの外国人にとっては、この長い名前を書いたり覚えたりするのはさぞ大変だろう。
海外の銀行の場合、名を捨て実を取るというのか、飲み込まれた方(弱い立場の方)の行名が伝統があったり利用者になじみ深ければ、あっさり飲み込まれた方の行名を新銀行名にしたりするから、この日本の風習にはうんざりするのではなかろうか。

和を以って貴しとでもいうのか、日本の場合、いつまでもいつまでも合併前の名前を引きずり続けている銀行もある。ここ10年くらい合併があいついだせいで定着した暗黙のルールがある。日本語表記の場合は飲み込まれた方の社名を先にして飲み込んだ方(強い立場の方)を後にする(例:三井住友銀行)。英語表記の場合はその逆(例:Sumitomo Mitsui Bank)。
このルールに従うと東京三菱銀行とUFJ銀行の併合後の行名はUFJ東京三菱銀行となるはずが、実際はその逆となってしまった。さすがに三番目に甘んじることは三菱出身の経営者には耐えがたかったのだろうか。それにしても利用者のことを考えるならせめて東京三菱UFJ銀行にしてほしかった。
三菱銀行系のエゴが出たともいえる新行名だが、あえて今さら「東京」を残したところにえもいわれぬ情緒を感じる。単にいまだに三菱と東京の融合がすすんでいないだけかもしれないが・・・

将来、もし、三菱東京UFJ銀行と三井住友銀行が合併するなんてことになったら、行名はどうなるんだろう。「三菱住友東京三井UFJ銀行」? はたまた(さくら銀行が住友銀行とくっつくときにちゃっかり「三井」を復活させたように)先祖がえりして「三菱住友東京三井太陽神戸三和東海銀行」うーんまさに寿限無 寿限無・・・の世界だな。

メダルの数と景気の相関

2006年03月04日 | Weblog
日本の景気が悪い時に開催されるオリンピックでは、日本人がメダルをたくさん獲得でき、景気が良い時に開催されるオリンピックでは、メダルがあまり取れないという関係があるそうだ。
日本の景気が絶好調ともいえる今年開催されたトリノオリンピックはこのジンクスに逆らえず、金メダル1個に終わってしまった。

このジンクスには一応の理屈付けが可能だと思う。
オリンピックで惨敗すれば、もっと強化しなければ、ということで各種競技団体等が集金に走り回ることになる。惨敗した時は景気が良いはずなので、政府も企業もサイフのヒモがゆるみがち。このため強化費が思ったよりも集まって4年後の次大会の成績は良くなるが、そのころには景気が息切れしているという具合。
逆に成績が良ければ、スポンサー側もことさら強化費を積み増そうとはしない(その時景気が悪ければなおさら)ので、次のオリンピックの成績が悪くなる。

ただ、今回のトリノで日本が振るわなかった最も大きな原因は、ウインタースポーツの最大・最強の理解者でありスポンサーだった西武鉄道のオーナーの失脚(?)にあると思う。唯一のメダリストが、それでもプリンスホテルの所属だったことがそれを如実に示しているのではないだろうか。
そういえば、スピードスケートの有名選手が多数所属するあの会社のオーナーは相当シブチンらしいし。