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園芸大好きsakkoの記録

1937年生まれの奈良のおばあちゃんのブログです。

近長谷寺・十一面観音と伊勢宮川堤の桜

2010-04-05 21:49:46 | 西方寺からの旅行

西方寺の檀家の春の旅行で、
伊勢まで行ってきた。

行程
出発7時30分=郡山IC=西名阪・名阪国道=上野ドライブイン=関IC=
伊勢道=伊勢西IC=近長谷寺(きんちょうこくじ)=宮川堤一帯=伊勢西IC
=鳥羽IC=元湯海女の島(昼食・入浴)=鳥羽IC=関IC=関・道の駅=出発地

西方寺の檀家の旅行だから観光だけはだめで、
必ず1箇所お寺のお参りが入る。
これも毎年のことで、もうお参りするお寺がなくたって来た。
京都、和歌山、大阪、神戸・・・・
今年は三重県まで。



近長谷寺略縁起 
 当寺院は、真言宗山階派に属し、丹生山近長谷寺と称して、仁和元年(885年)伊勢の国の豪族「飯高宿禰諸氏」が、人皇五八代光孝天皇の勅願所として、内外近親等に勧進して建立されたものである。
 飯高氏は奈良時代、四代の天皇(元正聖武淳仁孝謙)に仕えた妥女「飯高諸高」を送り出した豪族で、諸高は、性甚謙謹・志慕貞潔・典従三位を賜り、宝亀八年(777年)八十歳で奈保山に葬られるまで、多気郡勢和村丹生から産出する「水銀」で富を築き上げた。(続日本記より)
 御本尊十一面観音は、奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺とともに「日本三観音(三体の仏像を一本の樟から造られたものと伝えられている)」のひとつとして広く知られ、全国に二百ヶ寺以上あるといわれる大和長谷型観音に属するもので、なかでも右手に錫杖を添える姿は、日本唯一のものである。
 本堂は、中興の祖「真海上人」が、天文六年(1537年)勧進帳を出され五十年の歳月をかたむけ、天正末年に再建されたものである。その後政尊が僧堂を建てたが、元禄三年(1690年)の大雨洪水にて仏閣残らず破損。元禄七年(1694年)に現在の本堂が、快舜によって再建されたものである。また、五穀豊穣・開運・家内安全の守り仏として多数の信者を有し、伊勢の皇大神宮に近いということで近の一字を加え「近長谷寺」と改称されたのもこの頃である。なお現在の屋根は、昭和になって祐憲僧正が改修されたものである。
 現在では、毎年二月十八日を例大祭として、終日開帳し、厄除け祈祷、護摩法要などを行い、交通安全・学業・開運などの祈願所として、近郊近在の老若男女の崇拝の的となっている。




寺の本堂までは急な坂があるので足の悪い人だけ此処から車で本堂まで送ってもらうことになって、後の者はバスでもう少し山道を・・・・
道は細く運転を誤ると谷底だよ・・・・怖かった。
バスの駐車場から本堂までが急な坂。道幅1m・・・・
えらいことでした。

   

本堂です。
   

   

木造十一面観音立像
もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう )

   

ボランティアの方が丁寧に説明してくださった。

   


指定種別 国重要文化財(彫刻)
指定日 1913(T2)年8月20日
所在地 多気郡多気町長谷

登りも大変だが下りも又大変で、これか雨だったらどうなっていただろう。
檀家の皆さんも年々年を取られて足腰も弱っている。
この行程はちょっと無理があったな~
次回はバス横付けのお寺にして欲しいな。


次は桜の名所「100選」約1kmにわたってそめい吉野の花のトンネル

曇っていたので桜が暗く写っている
肉眼ではもっと華やかな色だったのだが・・・


   

   

お団子、たこ焼き、フランクフルト、焼きとうもろこし、回転焼き・・・
まだお昼をたべてないから・・・・
このいい匂いには、参ったね。

   

   

この桜の堤もバスの駐車場から少し有って、
皆さん参加とは行かなかったようだ。
お年寄りの多いお寺のバス旅行は難しいものだな。

その後、安楽島温泉。湯元「海士の島」でお昼ご飯
ご馳走だったが次々と運ばれてきて
途中から撮影放棄・・・・
で。写真なし・・・・

その後・温泉に入って
お土産をいっぱい買って・・・・7時ごろ家に着く。
もん父さんが迎えに来てくれて
晩ご飯は息子宅で。




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