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偏愛と放浪の記録

「誘拐」(著:本田 靖春)

2016-06-27 23:02:07 | 【書物】1点集中型
 武田砂鉄「紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす」で、ノンフィクションの名作として紹介されていたので興味を持って。1963年の「吉展ちゃん誘拐殺人事件」と言われる幼児誘拐殺人について書かれたものである。

 吉展ちゃんの足取りがわからなくなったとみられる公園にその日いた人々の様子から始まり、事件前の犯人・小原保の動きが描かれる。そして、唐突に誘拐の通報が割って入る。私自身もともと犯人が小原であるという知識を持たずに読み始めたので「ということはこの人が犯人なんだな」とは思ったものの、この段階でこれらの描写の相関をはっきり認識していたわけではない。しかし、要求を伝える犯人からの電話での詳細な会話の様子が繰り返し描写され、身代金の受け渡しと犯人とすれ違ってしまったらしい捜査陣の動きが緻密に再現されるにつれ、事件は緊迫度を増していく。そのただなかに、読んでいるこちらが放り込まれたようになる。
 その後は、やはり明確に小原を犯人と名指しはしないまま、その小原の半生と事件前後の様子が赤裸々に語られる。恵まれなかった家庭や体に負った障害が、昭和30年代の空気と相まって暗い翳りを感じさせる。

 そしてそんな小原を追う捜査陣にもさまざまな様子がある。当初、捜査陣は小原を挙げるに挙げきれず、ほとんど迷宮入りのような状態になってしまっていた。その事件をあらためて打開する平塚八兵衛という刑事の、執念の塊のような捜査が際立つ。明確な物証をなかなか確保できない中、アリバイを崩すための捜査を根気よく、丹念に捜査し直す姿には目を見張るばかり。さらに、そうして確実なものにした「アリバイなし」を小原に突き付けたときの様子。淡々と描かれているようで、なのに臨場感がある。
 最終章は逮捕後から刑に処されるまでの小原の様子である。罪を認めてからというもの、小原の態度は一変する。被害者の冥福を祈りながら、やがて来る刑を受け容れ、その傍らで自らの心を清め、鎮めるかのように熱心に短歌を学ぶ。判決理由自体は納得できるものであるが、それとはまったく別の次元で、小原の悔恨の姿をこのように見せられて心動かされない者はいないだろうと思う。小原が参加した「土偶短歌会」の主催者・森川氏が、小原の死後に出版したという小原の作品集に寄せた言葉は罪と量刑、あるいは死刑制度の在り方にまで、今この本を読むこちらに自問自答させるものでもあった。

 公に「犯罪者」となったが故に小原の心が「浄化された」のだとしたら、罪を犯す前にその善良さに立ち戻ることができるきっかけがなかったのかと悔やまれる。またその一方、誰でも小原のような立場になりうるのではないかとも思わされる。彼と同じ境遇にあったとしたら、自分は果たして彼と違う選択ができるだろうかと考える。「きわめて不幸なかたちで人生を終わった二人の冥福を」祈る著者の心持ちは、人間が人間であるために必要なものでもあるのではないだろうかと思う。


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